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おすすめマンガ時評『此れ読まずにナニを読む?』

第84回 河内遙『関根くんの恋』(太田出版)

河内遙『関根くんの恋』

(c)河内遙/関根くんの恋

 モテる人は大変だな、と思うことがある。
 好きな相手とお互いに思い思われるのはハッピーなことだが、特に自分は好きなわけでもない複数の相手から「好意」という熱量の高い感情を向けられるのって、楽しいことばかりじゃないのでは? 場合によってはけっこうしんどかったり、迷惑だったりするのでは? と感じるからだ。
 本書の主人公・関根圭一郎(30歳)も、あまりにもモテるがゆえに、一見順調なようで実は「受難」の人生を歩んできた、といえるかもしれない。

 関根くんはクールなイケメンで、なんでも標準以上にできてしまう優秀な男。当然、たいへんにモテるのだが、ある日はたと気がつく。自分には趣味もなく、そもそも何かに夢中になった覚えがない、ということに。「キャプテンに委員長に会長に恋人に 任命されるままこなしてきただけ」の(レベルこそ高いけれど、実は徹底的に)「受け身の人生」なのだ。
 自分がからっぽであることに焦った彼は、何でもいいから何かをしようと考えた末、なぜか手芸をやることに決め、手芸店に毛糸と編み棒を買いに行く。そしてその店をやっている風変わりな老人と、その孫娘・如月サラと出会い、老人からは手品を、孫娘からは手芸を教わるようになるのだった。
 それにしてもなぜ、よりにもよって手芸。見た目シュッとしたイケメン・眼鏡・三十路男子の関根は、手芸マシーンと化してどんどん作品を作っていくが、編んでいるうちに過去のトラウマを思い出し、それを忘れるためにもっと複雑なものを、と挑戦しているうちに、なまじ器用なので、どんどん上達してしまう。集中するために複雑な編み目にしようと、わざわざ自分の名前(ローマ字で<SEKINE>!)を編み込み、誰にも着られないような超ダサデザインの、でも無駄にできのよいセーターを作り上げてしまう。「目的のない高い技術」が形になってしまったむなしい作品は、まさに彼のこれまでの人生の象徴だ。

 そんな関根くんは、なぜかときどき自分の意志と無関係に、涙を流してしまう。彼の涙を目撃した手芸店の娘・サラは、彼が自分の涙の理由をまったく自覚してないことに驚きいらだち、「どんなに微量でも理由はあるんです」「その涙のワケときちんと向き合ってください」と関根くんを叱る。

 サラには、一見完璧なモテ男子の関根くんが「見た目のわりにかなり難儀な人」であることがわかってしまう。そぐわない場面で涙を流し、興味のない手芸品をすばらしい技術で大量に作ってしまう、そんなエリートサラリーマンの関根くんは、自分の内面や感情については中学生、いや下手すると小学生なみの無自覚さなのだ。

 そんな関根くんには、苦手な人がいる。高校時代の先輩だった数音だ。高校生当時、拒食症ではと噂されたガリやせの数音の白くて細い腕が「異様に怖」かった、と彼は思っているのだが、一方で気になって仕方なく、現在は友人・紺野と結婚している数音先輩に頼みごとをされると、なぜか断れない。だが、数音先輩への関根くんの態度を見たサラから、「ずっと好きだったんでしょ 先輩のこと」と指摘され、衝撃のあまり、どうしていいかわからなくなる。ショックのあまり会社を休んで、動揺を沈めるために作った大量のリリアンをもってサラに「俺は…ずっとそうだったんですか?」と訊きに行く始末なのだ(当然サラからは「自分で考えてください」と言われてしまう)。ああ……なんという自己の内面への無自覚!

 でも考えてみれば、これが「モテる人の悲劇」なのかもしれない。モテる人というのは相手からどんどん「つき合って」とやってくるので、特にはっきり好き嫌いのない人だと、たとえてみれば「お腹がすく前に、どんどん出てくるもので食事をすませている人」のような状態になってしまうのかもしれない。
 関根くんの不幸は、自分の欲望にシビアに向かい合わなくても、傍目からは充分(が、それ以上)に「順調」に生きていけてしまうということだ。だけど、自分の「本当の欲望」とはなにか違う、ということだけはわかり、苦しい。その苦しさをまぎらすためにかりそめの手段としての手品(手芸)をやって無駄に上達、いう悲しいスパイラルなのだ。
 私は、人間の内面の根源は「欲望」にあると思う。なので、欲望を満たされないことが多い人生を歩むと、「この苦しいかんじはなんだろう」→「じゃあどうすれば解決できる?」(たとえば「モテなくて悲しい」→「どうすればモテるようになる?」)と考えざるをえないので、自分の欲望について考えを深め、詳しくならざるをえないところがあると思うのだ。それはそれでもちろんしんどいのだが、お腹が減る(欲望を自覚する)まで放っておいてもらえないので、食べたくもないものを食べ続けることになり、結果、自分の本当の欲望がよくわからん、という「モテる不幸」というのもあるのかもなあ……ということを、関根くんから感じたのだった。

 そしてもうひとつ。
 関根くんは気になる対象への感情を「ぞわぞわする」「苦手」「怖い」「イライラする」と認識してしまうのだが、第三者であるサラや多くの読者は、「関根くん、違う、それは『苦手』なんじゃなくて、むしろ好きってことだから! 恋だから!」と思わずツっこんでしまうことになる。読者の一人である私ももちろんそうしたけれど、同時に、こうも思ったのだ。

 「そうだよな、恋って『切ない』とか『ときめき』とか、そーいう単語で認識しがちだけど、よく考えてみたらどこかで、関根くんの言うような『ぞわぞわする』ような、いいとも悪いとも言い難い奇妙な感覚が、確かにあるよなぁ……」と。
 そして、自分がいつのまにかしたり顔で、通り一遍なカテゴリーに感情を放り込むことで満足していたことにも気づかせてもらった。そんなわけで、自分のこころの辞書の「恋」の項目に、おごそかに「ぞわぞわしたり、怖い、と感じることもある」という項目を書き加えたのだった。
 
 作者は、2009年になんと初コミックスから1ヵ月以内に一挙4作が刊行されるという「河内遙デビュー・4社合同フェア」で注目を集めた。さらに翌2010年には、3ヵ月連続で5社からコミックス刊行され、「河内遙5社リレーフェア!」として単行本のオビ裏に「5社リレー・5コママンガ」が1コマずつ掲載されるなど、出版社の垣根を越えたフェアでも話題になった描き手である。最初のコミックスの刊行こそ2009年だが、マンガ家としてのデビューは2001年。著者は、「心と体がちぐはぐ」であることとか、「食欲と性欲は、実は近いところにある」といった人のあり方の深い部分を、作品を通して表現するのが抜群にうまい作家だと思う。清潔感と色っぽさが同居した絵柄も魅力のひとつだ。

 本作でも、イケメンでエリート、というスペックが抜群に高い関根くんは、肝心の「自分の欲望」におそろしく無自覚、という「残念」な人物だ。でも、意志と無関係に涙が出てしまう、という「心と体が、ちぐはぐ」な現象の意味(=身体のほうが、本当の気持ちを知っていること)を見抜いたサラから、そのことを指摘されるのだ。
 そんな関根くんは、子どもができたという友人・紺野と数音先輩夫妻のお祝いにと、赤ちゃんの靴下を編み、さらにオリジナル要素をいれて熊のあみぐるみを作る。だが、それを見たサラから思いがけず「私コレ震えるほど好きです」と言われて、またまた意志と無関係に涙ぐんでしまう。そして突然ぱったり編みものをしたくなくなってしまい、そのくせ、サラから、あみぐるみの「友だち」を、いつでもいいので作って下さい、と言われると、すぐさま大量に(紙袋2つぶん)作ってしまったりするのだ。
 ……ああっ、もどかしい!! もどかしいよ関根くん!!
 それはたぶん(関根くんの無自覚な)「あいじょうひょうげん」ってやつじゃないかと思うんだけど……と読んでいる私はつっこまずにはいられないのだが、でも、自分でもわけもわからぬまま、そんなことをしてしまう関根くんの姿に、かわいげとおかしみを感じないわけにはいかないのだ。
 ゆっくりゆっくり、こころとからだの回路がつながり始めた(でも表面的には手慣れたジゴロ風だったりして、このギャップがまたたまらない)「関根くんの恋」。
 このもどかしさは癖になる。ぜひ、手にとって身もだえてみて欲しい。



(川原和子)  

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