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おすすめマンガ時評『此れ読まずにナニを読む?』

第83回『めしばな刑事 タチバナ』原作:坂戸佐兵衛 作画:旅井とり(徳間書店)

『めしばな刑事 タチバナ』原作:坂戸佐兵衛 作画:旅井とり

(C)原作:坂戸佐兵衛 作画:旅井とり/徳間書店

 『めしばな刑事タチバナ』は、「面白いですよ」と、周囲のひとからたて続けに薦められた作品だ。宝島社のムック『このマンガがすごい! 2012』でも「オトコ編」第九位と、いわゆる「マンガ読み」たちの話題と人気を得ている。

 ところがぼくに『めしばな刑事タチバナ』を薦めるひとには、独特の屈託があるようなのだ。みな口をそろえて「伊藤さんが吉野家とか王将とかが好きだったら、ですけど……」と、なんとなく言いづらそうに付け加える。ぼくはその都度、「吉野家はそれなりに食べてるし、別にそういうB級の食い物は嫌いじゃないから大丈夫じゃない?」と答えてきた。外交辞令ではなく、実際にそうだ。吉野家だけでなく、天下一品のラーメンも、はなまるうどんも、つまり本作で取り上げられているあれこれを、日々それなりに食べている。

 『めしばな』は、これらのチェーン展開している大衆食や缶詰、インスタント食品などの「食」、それも「B級グルメ」とされている諸々を「語り倒す」マンガだ。ユニークなのは、主人公たちが食べているさまを直接描写するのではなく、それについて「めしばな」を語ることで構成されている点だ。主人公・立花は本庁のエリート警部だったが、張り込み中に「名代 富士そば」のカレーかつ丼を優先したために、地域の所轄に左遷させられたという設定である。彼の「めしばな」は、熱っぽく、そしてただ熱がこもっているだけではない。もうひとつの特徴に、観察の細かさがある。分析的であり、情緒が入り込む余地が思いのほか少ないのだ。そして意外に思われるほどデータに裏打ちされている。
 単行本目次に記された記述によれば、「この物語はフィクションですが、登場する店名などは実際の取材に基づいて構成しています」ということだ。なるほど、ここに出てくる店名などが、マンガによくある、実在のチェーン名の「もじり」だったとしたら、この作品はおそらく成立しない。何よりも、読者自身が日々食べているものについて、「そうだよ、そうそう!」と膝を打ち、よく見知っているチェーンや商品についての意外な薀蓄に、「なるほど!」と思うことが身上なのである。その意味では、「情報マンガ」と言えよう。

 と、ここまで紹介を進めてきて、本作が自分にとって、なんとも「始末が悪い」作品であることを白状しておかないといけない。一方で、このマンガは「嫌」なものだが、と同時に、主人公たちと一緒になって「めしばな」を語ってしまうものでもあるのだ。そしておそらくそれは、自分自身と「B級グルメ」、それもとりわけ吉野家に代表されるようなチェーン店展開しているそれとの距離感に由来するもののようなのだ。
 ぼくはこのマンガと主人公立花をあるときには「鼻持ちならない、嫌ったらしいもの」として見てしまい、別のときには、「なるほどよく見ているものだな」と感心していた。そしてこの乖離っぷりが、単に自分があまり好きではないチェーンの回では批判的になり、自分も好きなチェーンの回では肯定的に読んでいるにすぎないことに気づいたのだ。たとえば、ラーメンの天下一品の回では、そういえば自分も「あっさり」を頼んだことはないなと思い、牛丼の松屋でライスのみを注文し、ソースはどれが旨いかを語る回はうんざりして眺めていた。ぼくは松屋が嫌いなのだ。
 と、この連載の担当編集者に話をしたら、「吉野家と松屋の何が違うのかわかりませんね。同じようなものでしょ?」と言われた。即座に「何を言ってるんだ君は! 松屋と吉野家はねえ……」と反論しかけて、はっと気づいた。いままさに自分がしている「語り」の構図こそ、このマンガの中で延々と繰り広げられている「めしばな」なのだ。立花だけでなく、彼の上司も、容疑者も、みなそれぞれにB級メシの「めしばな」を語る。
 
 つまり、この作品の魅力は、日々よく知っているB級メシについての「語り」を呼び込むことにある。それらはなるほど美味い。少なくとも「まずくて食えないもの」ではない。ぼくたちは、毎日それなりに「美味しいもの」を食べて暮らしているのだ。さらに、全国津々浦々まで均質な「食」を提供するチェーン店や大量流通する加工食品の存在が、みなが共通して語れる土台を提供している。
 これは一面でとても豊かで、幸せなことである。だが、「ジャンクフード」をたとえば「ごみめし」と意地悪く直訳してみればわかるように、この「食」は、喜びに満ちているはずなのに(そして、本作のなかでは常に喜びに満ちて語られる)、だが同時に、なにかうら寂しい、ある貧しさを帯びている。私見では、B級グルメの要点は、歴史から切断されていることと、それ自体になんらの「ありがたみ」がないこと、そして基本は「個食」にあることにあると考えている。大きく言えば、これらはみな、戦後の日本で、さまざまな社会的な抑圧からの「解放」を意味するものであったはずだ。だが、それはいま、嬉しく、楽しく、だが同時に、貧しく、うら寂しいものになっている。『めしばな刑事』に対するぼくのアンビヴァレントな感情は、おそらく「現代」という時代への、こうした複雑な感慨にもつながってくるのだ。


(伊藤剛)

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