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おすすめマンガ時評『此れ読まずにナニを読む?』

第80回 もとなおこ『コルセットに翼』(秋田書店)

もとなおこ『コルセットに翼』

(c)もとなおこ/秋田書店

 私はマンガに関するエッセイを書いたり、自分が面白いと思うマンガを紹介したりすることを仕事にしている。こういう仕事をしているとよく「年に何冊くらいマンガを読まれるんですか?」と尋ねられるが、申し訳ないことに性格がズボラで全然カウントしてないので、自分でも数はよくわからない。でも、マンガ好きの中では、決して「たくさん読む方」ではない、と思う。
 もちろん平均的なマンガ好きの人よりはやや量は多めに読んでいるかと思うけれど、なにしろ世の中には驚くほど「ものすごくたくさん漫画を読む人」が存在するのだ。アニメ会社にいた頃、まるで呼吸をするように淡々とすごい量のマンガを日常的に読む人を間近に見て、「す、すごい!」と感嘆したものだが、私などはどちらかというと好きな作品を何回も読み返していたい方なので、おのずと新規開拓がおろそかになりがちなのである。  そんなわけで、自力だけで面白い作品に出会うのは限界があるため、できるだけ新聞・雑誌などのマンガ紹介コラムなどはマメにチェックすることにしているが、なんといってもありがたいのは、目利きの読者に直接、面白い作品を教えてもらうことだ。この作品も、不勉強な私が、素敵な本を書かれている大学の先生から教えて頂き、面白さに驚嘆して、自分で単行本を複数買って未読の人にさしあげる(押しつける?)といった「布教」までしてしまった作品なのだ。

 19世紀末の英国。父を亡くした11歳の少女・クリスは、親類達により寄宿学校に送られる。そこは、ミス・デスデモーナが支配する監獄のような場所だった。特別生にならなければまともな授業さえ受けさせてもらえない少女たち。だが彼女たちは、秘密の学舎・月光荘に集い、ひそかに知識を伝え合っていた……。

 本作の「身寄りをなくした少女が寄宿舎に送られ苦労する」という設定は、有名な児童文学(少女小説)であるバーネットの『小公女』を連想させる。実際、本作には『小公女』だけではなく、同じくバーネットの『小公子』や『秘密の花園』といった著名な児童文学作品の登場人物の名前(たとえばハビシャムさんやセドリック、セーラ、コリンなど)が複数、用いられているのだ。読者である私は、「作者はきっと、これらの児童文学作品に親しみ、愛しておられたからこその命名なのでは?」と勝手に想像をふくらませてニコニコしてしまうのだった。
 だが1905年(!)に初版が刊行された『小公女』では、最終的には主人公セーラが、亡き父のかつてのビジネスパートナーであった大人の男性の力によって苦境から助け出される。一方、19世紀末から20世紀初頭を舞台にしつつも21世紀に描かれた本作では、ひと味違った方法で、少女たちは苦しい状況を切り抜けていくのだ。

 もちろん本作の少女たちは、まだ経済力も、自分の行く先を決める力もない、弱い存在だ。だが彼女たちは、あくまで自分たち同士で「月光荘」で学びあい、しかも助け合っていること自体はあくまで秘密にして、「自分たちで、自分自身に生きる力をつけていくこと」をなにより大切にするのだ。

 校長の横暴に真っ正面から反抗するクリスに、上級生のジェシカは、ひそかに知識を伝えあう「月光荘」の仲間になりたければ、女学校の実情を外部にもらさず、かつミス・デスデモーナに従順にふるまうという誓いをたてろと言う。外部に訴えても事情が改善されるとは限らず、むしろ悪化させるリスクを全員に対して冒すわけにはいかないこと、そして、権力者デズデモーナを“ごきげん”にさせておくことが「私たちにとって利益になるの」と言うジェシカ。
 「無知のままデスデモーナに逆らい続けて 無知のまま大人になるの!?」
 「学ぶことだけが私たちの盾になるのよ」
と言いきるジェシカの言葉に、知識を身につけることが一番の望み、と考えるクリスは、表面的にはデスデモーナに従うことを承諾、月光荘の仲間になることを誓うのだった。そして彼女たちは長い時間をかけて、力をたくわえていくことになる。

 それにしても、上級生とはいえ当時まだ15歳くらいであろう、女学生たちのリーダー・ジェシカの、お嬢様らしからぬこの冷静な視点はどこから来ているのだろうか?
 この学校にいるのは、裕福ではあるが家庭にいられない事情のある生徒ばかりだ。家庭に居場所のない彼女たちは、監獄のようなこの学校で生き延びていくしかないし、しかもやがて確実に学校からも出て行かなくてはならないのだ。物質的には豊かでも、精神的には厳しいサバイバルを強いられてきたからこそ、彼女たちは「生き延びるには、戦略をたてて、自分に力をつけるしかない」というシビアでしたたかな人生観を手に入れたのだろう。

 タイトルにもなっているコルセットは、当時女性の体を整えるためにつけたものだが、ミス・デスデモーナはコルセットで体をしめあげる「タイト・レイシング」を、少女達を従わせる体罰として行う。3歳で母を亡くし、父に男の子の格好をさせられていたクリスはコルセットをつけたことがなく、コルセットなんて父の言っていたとおり苦しくて体に悪いだけ、と抵抗するが、ジェシカは「そうね あなたのお父様がご存命ならね」と言い放つ。そしてクリスは気づくのだ。自分を守ってくれた優しい父は、一人でどうやって生きればいいのかは教えてくれなかったことを。
 ジェシカはそんなクリスに、コルセットは世間と戦うために必要な女性の鎧だと言う。姿かたちを美しく見せることで敵の戦意を奪い、自分を守らせる騎士にしてしまうのだと。
 コルセットによって「美」という鎧をまとい、知識を盾に、そして強い意志という剣を持ち、世間という大空にむけて羽ばたく力を蓄えること。それこそが、自分で自分を守る術であることを、ジェシカは下級生のクリスたちに教えていくのだ。
 学校で教わる知識と、社会で生きていくための経験則に近い知恵の両方を、彼女たちは「月光荘」でひそかに、女の子同士で教え合う。だがこの教えは、100年以上の時を越えて、いまの女の子にも共通する真理だろう。そこがこの作品の、「古典的だが新しい」ところだと私は感じるのだ。

 もちろん少女マンガらしく、あるときはクリスに謎の援助者が現れたりもするのだが、経済力をもつ正体のわからない援助者よりも、「月光荘の仲間と一緒に 自分の知恵で自分を守るほうが確かで強い武器を持つことになるもの!!」と言い切るクリス。そんな彼女を、あなたは意志という強い武器を手に入れた、と褒めるジェシカ。
 たとえ援助を受けても依存はせず、自分の足で歩けるようにするのが基本であることを彼女たちは忘れない。女の子同士が、もたれあうのではなく、支え合って凛々しく生きていく力を得ようとする姿には、なんて素敵な少女達のお話だろう!と感動してしまったのだった。

 思わずかっこいい先輩のジェシカやクリスのみに焦点をあてた紹介になってしまったが、物語としての面白さもたっぷりある。クリスが寄宿舎へむかう駅で出会った、車椅子に眼帯の青年。父が亡くなり自由な鳥からヒモでつながれた犬みたいになってしまった、と意気消沈するクリスは、その青年から「うまく飛べない幼い鳥も、嵐や鷹を賢く避けて成長を待てば飛べるようになる」「大丈夫 きみも飛べるよ」と言われ、彼をひそかにミスター・バードと名付け、その言葉を心の支えにする。やがて彼は、クリスの運命に大きく関わってくることになるのだ。
 また、幼なじみのセドリックや弁護士のハビシャム氏をはじめ、クリスの亡き父を知る病弱な画家・ラファエル、絵のモデルもする八百屋の少年・リアムなど、クリスを助けてくれる素敵な人たちも現れ、物語はクリスの抱える謎の核心に徐々にせまっていく。かわいらしい絵柄とは裏腹に、クリスの父も含め、人の暗い面にも迫っていく毒すら感じさせる内容なのだ。

 寄宿舎のメイドであるセーラという女性も印象的だ。彼女はジェシカのスパイのような役割を担い、クリスたちを陰で助けているのだが、私たちのためにありがとう、とお礼を言うクリスに、セーラは「私は自分のために働いているんです」と冷静に突き放すのだ。セーラは、ジェシカが卒業後レディーズ・メイドとして自分を連れて行く、という約束のために、クリスやその仲間を助けているのに過ぎないのだと。
 のちに少女メイドのアニーがクリスたちと仲良くなった際も、セーラは、どんなによくしてくれてもあちらは主人で私たちは使用人、「だからこそ飼われちゃだめなのよ」と忠告する。だがそれは卑屈な気持ちからではなくむしろ逆で、技術と経験を積めばメイド不足のいまなら良い使用人は重宝され、自分たちは主人を選べる、自分で自分の身の振り方も決められないお嬢さんたちより自分たちの方が自由なのだ、とセーラは言うのだ。表面的には上下関係であっても、そこに結ばれた雇用関係という意味では対等、という矜持がかいま見える言葉で、こういうクールな職業観の大人の女性が登場するのもまた、本作の特徴だと感じた。

 単行本も9巻となり、いよいよお話も佳境に入ってきた。一見ふわふわとかわいらしく、しかし芯は強く凛々しい、シビアな世界観をもちながら現実を見据えてしたたかにサバイバルしていく、そんな少女達の連帯と成長を描いた「少女マンガ進化形」な本作。
 ぜひ、手に取ってみて欲しいのだ。



(川原和子)  

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