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おすすめマンガ時評『此れ読まずにナニを読む?』

第77回 曽根富美子 『パニック母子関係』(ぶんか社)

曽根富美子 『パニック母子関係』(ぶんか社)

(c)曽根富美子/ぶんか社

 優秀で熱心な中学生教師だった28歳の女性・美緒。だが彼女は結婚して妊娠すると一転、仕事も辞め自宅にひきこもって、同居している自分の母に激しく反抗的な態度をとりはじめる。彼女の変化にとまどう夫や家族達。美緒の夫は妻の苦しみに寄り添おうとするうちに、一見理想的にすら思えた妻の育った家庭が、まったく違う面をもっていたことに気づき始める…。
 曽根富美子の「パニック母子関係<カプセル>」は、こんな作品だ。

 優秀な教師として溌剌と生徒の不登校やいじめ問題にも積極的に取り組んでいた妻は、いまや家にひきこもって実の母親を口汚くののしる。美緒とその母親は、以前は美緒の夫の照が、二人の間には入り込めないと感じるほど仲が良かったというのに……。
 困惑しながらも変貌の理由を尋ねる夫の照に対して美緒は、自分はこれまで母親や周囲の期待通りにふるまってきただけで、それが苦しくてたまらず、自分がこんな人間になったのは母のせいだと主張する。

 照は美緒の変貌にとまどいながらも彼女の気持ちを第一に考えようとするが、美緒の母親は、決して娘の苦しみを認めようとしない。海羽(みう)と名付けられた娘が誕生してからも、自分の母親が育児に関わろうとすると暴れ出す美緒。
 自分が育てたかつての優秀な美緒に戻すために必死な母親は、娘(美緒)の出産や育児にも、先回りしてこれが正しい、と「正解」をおしつけるかのようにふるまい、美緒は追いつめられていく。ついに実の母の首をしめようとまでした美緒の姿に、照は心理学者の友人に相談する……。

 ストーリーが進むにつれ、美緒が変わってしまう理由となったもとの職場(学校)での事件が明らかになるのだが、美緒の怒りは不思議なほどに職場には向かわず、自分の実母へ向けられ続ける。読者である私は、それほどまでに母が憎いのなら、(作中でも照が提案するように)同居をやめて夫婦と娘だけで暮らせばいいのに……と思ってしまうが、美緒には外の世界が怖くてたまらず、それもできないのだ(作品内でも「美緒から見えている外の世界」が描かれ、その恐怖を読者にリアルに感じさせる)。

 精神科医の斎藤環氏は著書『母は娘の人生を支配する』(NHKブックス)のなかで、父と息子の関係と対比して、母娘関係の難しさを指摘する。多くの場合、正面からぶつかりあう父と息子の対立は、たとえば父が敗者となれば息子からうち捨てられて終わりだが、母と娘の場合はそもそも正面から対立せず、そして母による支配は、内側から相手を自覚無しに支配するような形のものであり、娘にとっては「戦おうにも、戦い方すら相手に教わった通りでは、真に相手を打ち負かすことはでき」ないというような、二重三重に入り組んだ形の見えづらい支配なのだ(p.172)。美緒が母に激しく反抗しながらも、外の世界が恐ろしくて家から出られない姿も、そんな母娘関係のひとつの象徴的な一例なのかもしれない。

 本作を含め作者の作品は、ときに目をそむけたいほどの重いテーマを取り扱いながら、それでもどこかに希望を感じることが多い。そしてその希望は、「知性の力」「理知の力」によってもたらされるものとして描かれているように思う。
 家族の中でどうしようもないくらい絡まったように見える問題も、いったん客観視してときに専門家の力も借りながら、「知性の力」で解きほぐしていくことは、きっとできる。たとえ魔法のようにすぐに解決することは無理だとしても、じわじわと前進するための糸口はきっとある、と感じさせてくれるのだ。

 本作のなかでは、美緒の夫の照と、美緒の父親という家庭の中の二人の男性が、(完璧ではないにせよ)素晴らしい理知の力をもっている存在として描かれている。
 照はとまどいながらも妻の苦しみに辛抱強く寄り添い、事態を好転させるための現実的な努力をコツコツと積み重ねるし、美緒の父親も、問題の本質が自分の妻である美緒の母親にあること、そしてそれは自分の責任でもあると理解する。精神的なケアが必要なのは、実は娘の美緒ではなく母親である自分の妻で、カウンセリングを受けるときは自分も一緒に受ける、と宣言するのだ。
 でももしかしたら現実には、美緒の父のような人は少数派かもしれない。娘に起きた問題の重要な一端が妻にあることがわかったときには、「お前が悪い」(=俺は悪くない、関係ない)と妻を断罪して、まるでなにかをなしとげたかのような錯覚に陥っている当事者意識のない夫のほうが、ずっと多いのかもしれない。でも少なくとも本作で描かれる男性たちは、きちんと「家族としての役割」を果たそうとできる人たちだ。

 そう、母子関係のゆがみを描いた本作だが、決して「母を告発」だけして終わるのではない。かつて子供の精神的な病や問題行動の原因が母親にあるとする「母原病」と呼ばれた説が広まったが、「のちに原因が母から家族へと見直され」たということが、照の友人の心理学者を通して、(さらりとではあるが)指摘されている。
 この指摘はとても重要だ。「子供のことは母親(だけ)の責任」、「子供の問題は母(だけ)が原因」という根強い俗説や価値観は、ときに責任感の強い母親を追いつめてしまい、「あなたのためを思って」という一見もっともらしい言葉で子供を支配する「優しい暴力」を行使する負のスパイラルに陥る危険性がある。本作で描かれる母娘関係は、まさにその一例だろう。美緒の父親の「まとも」なところは、「自分の妻の問題ということは、家族の一員であり夫である自分の問題でもある」ということを(大きなトラブルに発展してからとはいえ)直感的に理解しているところなのだ。
 そしてこの家族は一見特殊な一例のようでも、大きな意味では社会全体の流れとつながっていて、実は誰にでも少しずつ関係している問題であることも提示されるのだ。

 さまざまな曲折を経て、美緒は少しずつ家族の呪縛からときはなたれていく。その重要な契機になる夫・照の言葉には、私もはっとさせられた。

 怒りたいときには怒れ。だけど怒りと憎しみは違う――憎しみのとりこになってしまえば人も自分も壊していくだけだ、と。

 この言葉で、怒りとどうつきあうかという訓練を、人はあまり受けてないのが実情かも、と気づかされた。特に「いい子」として生きている「女の子」であればなおさら、怒りというものは「おさえつける」以外の方法を知らないこともありうるのかもしれない。それが積もりに積もってついに爆発したときのすさまじさ――それを感じさせてくれる物語なのだ。

 難しい問題に正面から向き合う曽根作品は、根強いファンをもちながらも近年、単行本が入手しづらくなっていた。そんななか、昨年からぶんか社で傑作選として次々と文庫が出版されている。本作もその1冊だが、気になった方は、入手しやすいいま、ぜひお早めに手に取ってみて欲しい。


(川原和子)  

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