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おすすめマンガ時評『此れ読まずにナニを読む?』

第73回 ワタナベ・コウ『裁縫女子』(リトル・モア)

ワタナベ・コウ『裁縫女子』(リトル・モア)

(c)ワタナベ・コウ/リトル・モア

 一昔前まで、編み物や裁縫は家庭の主婦にとって、生活に必要な技術だったと思う。私が幼い頃には母が古いセーターをほどいてチョッキに編み直してくれたり、学校に持って行くサブバッグ的手提げ袋やワンピースなども手作りしてくれていた。そこまでいかなくても、掃除に使う雑巾は、古タオルを縫い合わせたものを使うのが普通だったと記憶している。裁縫は、日常に密着した技術だったのだ。
 だが、世の中自体が豊かになっていくなかで洋服もセーター類も既製のステキで安価なものがたくさん出回るようになり、気がつけば雑巾までもコンビニで入手できるようになっていた。つまり、服も雑巾も「作るより、買う」ものになったのだ。
 こんな世の風潮を「なんでも買ってすませて、自分で洋服や雑巾も縫えなくていいのか、実に嘆かわしい」と思われる方もおられるだろうが、私は「ああ、よかった」と心から感謝していた。というのも大きな声では言えないが、私は手先が不器用で、編み物や裁縫が大の苦手だからだ。特に裁縫となるとまったくダメ。中学の家庭科でスカートを縫う課題で、型紙の段階で「えーと、こことここを縫い合わせて…」などと考えていると混乱してきて、誇張でなく気持ち悪くなってしまったというくらい苦手なのだ。体が受けつけないのである。だが、そんな言い訳は学校教育の場では受け入れられるはずもないので、黙ってひたすら裁縫にはなるべく関わらない人生を歩んできたのだ。

 そんな私からすると、本書の著者は信じられないくらいまばゆい才能の持ち主である。リカちゃん人形の洋服でソーイングに目覚め、幼い頃から祖母による裁縫の英才教育を受け、そして裁縫が好きで、自分でも楽しみ、かつ教室や著書で人にその楽しさを教えてきた、という「裁縫エリート」である。しかも、バイト先のソーイング・デザイナーのところで知った方法に衝撃を受けて「こうやった方がカンタンで楽しいよ!」とプロ用ソーイング法を大胆にアレンジして初心者に教えてしまう革新派なのだ。
 本やテレビでカンタンな服の作り方を教えて初心者に喜ばれていた著者だったが、一方で、教室にやってくる生徒たちは一筋縄ではいかないクセモノぞろい。本書は、そんな著者の悪戦苦闘を描いたエッセイマンガだ。

 初心者向けとうたっているのに教室にやってきて難癖をつけるベテランの洋裁好き。己のサイズを決して直視しようとせず、自分はMサイズだと主張して体にあわない服を作る生徒など、さまざまなタイプの受講生が先生を困らせる。
 そんな生徒たちの中で私がいちばん笑ったのが、著者が「リネン族」と名付けた人々だ。
 著者曰く、「70年代のヒッピー文化をルーツにして、エコロジー スローライフ フェミニズムなどの主義主張を掲げる種族」で「『麻』を必ず『リネン』と言う」彼女たちは、ミシンが苦手で不器用なのに、手作りが大好き。トロくてものすごく作業が遅れているのに妙に楽しそうなので、「縫ってあげる」ともいえず、先生はリネン族の遅れをひたすら待つしかない……という教室にとってはちょっぴり迷惑な存在なのだ。
 さらに、彼女たちはリバティ生地が大好きという習性がある。花柄で有名なリバティ生地は薄くてツルンとしているので上級者向けの生地。ただでさえ扱いにくい生地をただでさえ遅れがちなリネン族が使いたがるというこの皮肉。
 著者は、リバティ生地は19世紀末のアーツ&クラフツ運動という「美しいものを美しいと感じる本能を目覚めさせようという運動」で人気を得た生地で、気軽に手を出してはいけないと言う。美しいものを美しいと感じるには、美しくないものを美しくないっ!! と感じなくてはいけない、と考える著者は、難易度の高いリバティ生地を使って不器用な人が服を作れば、結果として美しくないものができる!という言いにくい真実をなんとかわかってもらいたいと努力してきたが、信仰心の厚いリネン族には通じない……と肩を落とす。
 先生である著者は、自分も過去に、先生や先輩に散々アドバイスされて少しずつ覚えていったんだから、と、意を決して「いかにも手作り」な服を着たリネン族に技術的なアドバイスをする。
 すると返ってくるのは、下手なのはわかっているけど、ソーイングする人がいるところでは(この服は)絶対に着ないようにしてますから、という返事。でも彼女がそう主張するのは、なんとソーイング教室という「ソーイングする人だらけ」の場所なのだ。一見謙虚なようで、周囲の人を「ソーイングする人」とはみなしていない。
 挙げ句、リバティ生地はむずかしい生地だから、と言う先生にむかって「ネットでは……縫いやすいって書いてあったけど……」と反論し、ついに堪忍袋の緒が切れた著者を
「自分の体と頭でカンタンかむずかしーか判断しなよっ」
「失敗したっていいんだから自分の頭で考えてっ!!」
と激怒させるのだ。

 自分はセンスがいいと思っている「リネン族」は、実はネットや雑誌からの知識を「信仰」しているだけで、自己完結しているから親身なアドバイスにも失礼な返答をして平然としているし、「本当に美しいもの」への畏敬の念もない。
 でも「こういう人、いそうだな〜」と笑いながらも、「もう少し器用だったら、私も『リネン族』になってたかも……」と思ってドキリとしたのも事実である。なぜなら、著者の描くリネン族(146ページ、必見!)のコーディネイトは、私もあと10キロ痩せていたらしてみたい格好だからだ。
「(服のサイズが)7〜13号の人OKのチュニックワンピ」+「リバティ生地で作ったゴムパン」という全身をふんわりと覆うナチュラルファッションは、締め付ける部分がないだけに、下手をすれば必要以上に太って見えてしまうという難易度の高いもので、痩せてない人間には着こなしが難しいので自粛しているが、私自身はこういうファッションが「着られないけど、好き」なのだ。

 そして、著者が嘆く、(リネン族だけでなく、多くの生徒が)失敗を極度に嫌がるという部分が、私には耳の痛い指摘だった。いっぱい間違えて、そこから学べばいいのだ! というまっとうな発想が、ものぐさな自分にはかなり薄い。ネットや本で失敗のない方法を知って教室で先生に間違いがないことを確認しながら失敗のないものを作りたい、というのが偽らざるホンネだ。並はずれた不器用ゆえにソーイング教室に行こうとは思わないけれど、著者が嘆く生徒さんのメンタリティは自分の中にもあるのかも……と反省させられた。一歩間違えたら、教室で著者を困らせていたのは私だったのかもしれないなぁと苦笑してしまったのだ。

 明治時代、裁縫や手芸は我慢強い女を育てるために有効、と国家をあげて奨励されていたそうで、その教育を受けた祖母は確かに我慢強かったが、同時に「イジワルな女でもあった」と著者はいう。祖母と母は仲が悪く、「これからの女の子は勉強ができなきゃ」と考えていた嫁(著者の母)に、祖母は冷たく当たったりもしていた。「おばあちゃんが断然イジワルに思えたが 私はおばあちゃんと編みものや縫いものをしているのが好きだった」という彼女は、そんな二人を客観的に見ていたのだろう。お祖母様の裁縫スキルとお母様の合理性を、彼女が受け継がれたようにも思える。
 裁縫はこうじゃなきゃ、という固定観念をくつがえして「カンタンで楽しい方がいいじゃない」と提案しつつ、クールに生徒を観察した作品を描く著者は、「裁縫や手芸をする人はイイ人と思われがちだが 裁縫や手芸は人間をイジワルにするような気もする」と、「裁縫好きはイイ人」幻想までもさらっと否定するのだった。
 本作は、「手作り」という言葉にともすればただよう善意の押しつけのうっとうしさを軽やかにふりはらう、親しみやすいけどちょっとビターなエッセイマンガなのだ。


(川原和子)  

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