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おすすめマンガ時評『此れ読まずにナニを読む?』

第70回 久住昌之:作・水沢悦子:画 『花のズボラ飯』 (秋田書店)

久住昌之:作・水沢悦子:画 『花のズボラ飯』 (秋田書店)

(c)久住昌之/水沢悦子/秋田書店

 私は料理が嫌いだ。
 でも、食べることは好きだ。

 結婚当初、ほとんど料理らしい料理ができなかった私に、何人かの知人が「食べることが好きなら、これから料理は絶対上手になるし、好きになるよ」と慰めてくれたが、食べること「だけ」が好きで料理はまったく好きになれないまま、早15年。現在に至っている次第である。
 一応、つれあいは外で長時間働く勤め人なので、家にいることが多い私が我が家の調理担当者ではあるのだが、そんなわけで我が家のおかずは主に、塩ふって焼いた「だけ」とか、切って炒めて味付けした「だけ」とか、ゆでてなんかかけた「だけ」といった、素材重視といえば聞こえはいいが、なんだか素朴すぎる「名も無き料理」が妙に多い…というていたらく。健康は害したくないし、外食ばかりするほど裕福でもないので、このような低め安定(?)調理ライフを送っているのであった。
 そんな私に先日、複数の方から「これは川原さんが絶対好きだと思う!」とオススメしていただいたのが、『花のズボラ飯』である。

 主人公は、単身赴任中の夫を持つ駒沢花(30歳)。本や雑誌がいたるところでタワーになっているような散らかった家でリラックスして暮らす彼女が、基本あんまり手をかけないでズボラな料理を作っては食べる、という短編が17本収められている。

   夫が単身赴任しているということは、花は基本的には一人暮らし状態である。そんな花の「ズボラ飯」は、めちゃくちゃお腹がすいているのに家にご飯がないので鮭フレークにマヨネーズをまぜてパンにのせて焼いたもの、とか、ご飯に生卵を割り入れてお醤油をたらしただけのものにしば漬け、といったシンプルさだが、これがなんともいえず美味しそうなのである。「うんうん、徹底的に元気がないときは、洗い物が極力出ないメシは重要だよね」などと思いつつ読んでいたのが、一番ウケたのが「5皿め」のエピソード(本作は、「1話め」「2話め」ではなくて「1皿め」「2皿め」という単位になっているのだ)。
 栗拾いに行ったお隣さんから、「栗ごはんにするとすごくおいしい」とザルいっぱいの生栗をもらうのだが、いったんは笑顔で受け取るものの、ズボラな花は、栗ごはんを作るのは「チョ――めんどくさそう」と及び腰。ネットで料理法を調べるが、「花には無理」とあっさりあきらめ、一粒だけゆでてみて味わってみたものの、あとは「栗つながり」ということで、レトルトのクリームシチューを夕食にしてしまうのだ。栗つながりで「クリ」ームシチュー……って、ダジャレだし!!
 おまけに栗を眺めつつの「栗見めし」ってことで、シチューを口に運んで「う〜〜ん」「栗〜〜ミ〜〜」……と、とろけそうな笑顔でコメントする念の入れよう。30歳の人妻なのに、オヤジギャグ炸裂なのであった。

 しかし、ズボラと言いつつも、花は食べることにとてもどん欲な人である。レトルトのクリームシチューにも生パセリを刻んでのせる一手間は惜しまず、胡椒もちゃんとひいてかける。時には、たまねぎにクローブまでさして完璧なポトフを作ろうとしたり、奮発して100グラム2000円の肉を200グラム買って(なんと、よよよよ4200円!!(税込))、超ゴーカ一人飯を楽しんだりもするのだ。ただ、ポトフはたくさんの野菜類に気を取られてか肝心のコンソメを買い忘れ、しかたなく牛乳やケチャップ等家にあるあらゆるものを入れてみたら、なんだかものすごく美味しくなってしまった、というオチがついたりもするのだった(でも、行き当たりばったりなので再現不可能)。

 そう、花は妙に細かなところに手間を惜しまない。たとえば、バイト先の店長の奥さん作のいただき物のおしるこにいれるお餅が焼き上がるまで、オーブントースターの前で「もっちもち〜〜」と自作の歌を歌い踊りながら(途中でケータイ見たりもしつつ)待っていたりするのだ。その結果、みごと、ちょうどいい焦げ具合のオモチをおしるこに投入することに成功するのだ。う〜ん、素晴らしきこだわり。ヘンに気が短くて「待つ」のが大のニガテの私は、ついトースターの焼き時間を適当に設定してその場を離れてしまったりして、あらゆる「焼く」ものを焦がしてしまいがちなのだが、私にはこの「焼き加減を見る」という繊細な姿勢が欠けているのだな、と思わず反省した。そして、食べるのが好きと言いつつ、花に比べると、味わい方がヒジョーにザツであったなぁ……と重ねて反省してしまうのだった。花は、どんな食べ物に対しても(たとえばコンビニで買った肉まんであっても)、味わうことには決して手をぬかない、いわば求道的なズボラさんなのである。

 本作は、原作を久住昌之氏が担当している。
 久住氏といえば、泉晴紀氏の作画で「泉昌之」として発表した『カッコいいスキヤキ』や、谷口ジロー氏が作画を担当した『孤独のグルメ』の原作などでも知られている。男性が主人公で、それぞれに(あまり高級すぎない、日常的な)食に関するこだわりを披露する内容だが、本作では女性が主人公。しかしさすが久住氏の原作というべきか、それとも作画担当の水沢氏のこだわりか、主婦である花のズボラっぷりの描写(部屋の散らかり具合!)も、「ここまで描くか」的な迫力だ。それでいて、絵柄はとてもかわいいので、あまりエグくはならず、「ほのぼの」の範疇として読めてしまう(と思う……たぶん。なにせズボラな私の基準なので、いまいち自信がないが)。

 それにしても、どうして花の夫(ゴロさん)は単身赴任中なのだろう?
 二人の間には子どももいないから身軽だろうし、花は本屋さんでバイトしているけれど旦那さんの赴任先でも新しいバイトも探せるような気がするし、なによりラブラブな二人なのに、たまにしか会えない生活パターンを選んでいるのが不思議だ。花が暮らす家は一戸建てみたいだし、家を買ったばっかりで夫が突然、すごい特殊な場所に転勤に……というケースなんだろうか。作中に説明がなく、「ゴロさん」も具体的に姿が出てこない(けれどしょっちゅう花とは電話している)ので、なんだかとても気になってしまう。
 人間の欲望の柱は食欲・性欲・睡眠欲、と言われるが、本作で花はよく眠り、よく食べ、そして食べ物を口に含んだあとに「うま――い!」と恍惚の表情を浮かべるのだ。かわいい絵柄で描かれるそのうっとりとした表情は、ちょっと不自然な「夫の不在」とあいまって、ほのぼのとしたトーンの本作を、ちょっぴり不穏な深読みに誘う……気がしなくもない。夏までにやせてA.P.C.のパンツをはけるようにするっ、なんてブランド名まで出して誓う花だけど、童顔・幼児体型で30歳らしからぬアンダーウエアを履いてたりするのも「ん?」と思う部分だ。
 と、ちょっと不穏な部分をにじませつつも、楽しいズボラ生活を活写する本作は、ずばり、「自堕落の甘美さ」を描いていると思うのだ。それも、夫(几帳面っぽい)の単身赴任という「いつかは終わりがきて、ちゃんとしないといけない日がくる」だろう前提のもとでの、いけないいけないと思いながらついしてしまう二度寝のような快楽の日々。
 「あ〜こんなんじゃダメだ!」と思うたびに何度も料理本を買ってきて「今度こそちゃんとしよう」と誓いながら、結局いつも挫折してテキトーご飯を作っている私にとっては、「でも、そこにも楽しみを見いだすこともできるよね」とちょっと思わせてくれるお話でもあった。
 ……それにしても、複数の人にこの作品を薦められるとは、私のズボラっぷりが思い切りバレてるということなのだろうか…。う〜ん。これでいいのだろうか自分。と、思わず少し我が身を振り返ってしまったのであった。


(川原和子)  

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