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おすすめマンガ時評『此れ読まずにナニを読む?』

第56回 『オールラウンダー廻』遠藤浩輝(講談社 既刊3巻)

『オールラウンダー廻』 遠藤浩輝

(C)遠藤浩輝/講談社 既刊3巻

 作家の「趣味」が前に出ているマンガを読むのはたのしい。
 この作品でのそれは「修斗(シュート)」という総合格闘技だ。何であれ「好き」なものについて、「好き」という感情を込めて描かれたものを見るのは気持ちいい。この人、本当に修斗が好きなんだなあと思って、うれしくなる。メッセージ性の強いサイバーパンクSF作品『EDEN』の長い連載を終えたタイミングで描かれたというのもいい。なんというか、気負いが抜けた感じがする。

 おささなじみの二人の対照的な少年を主役に据えた、格闘技マンガである。
 主人公・高柳廻(たかやなぎ・めぐる)と、ライバル的な山吹木喬(やまぶき・たかし)だ。明るく、家庭にも恵まれた廻と、ヤクザ者の父を暴力団に殺され、復讐心から強くなろうとする、寡黙で感情を表さない喬。小学生のころ、ともに空手を習っていた二人の人生は、大きくかけ離れたものになっている。物語は、二人のエピソードを交互に語るのだが、そのテイストもまったく異なっている。ジムの仲間たちに囲まれ、高校生活のかたわら、楽しげにただ「打ち込むもの」が欲しくて練習にはげむ廻と、ヤクザの抗争のただなかに身を置くことを余儀なくされ、命を張った実戦に狩り出される喬。そんな二人の唯一の接点が、「修斗」の試合である。

 とは言っても、ぼくは格闘技をほとんど知らない。「修斗」という競技についても、名前を聞いたことはあるという程度だ。フルコンタクトがあること、打撃と関節技の両者が使われること、そして、アマチュアとプロの間が近く、競技者数がそれなりに多いというのが、このマンガを読むときに押さえておくべきポイントだと、格闘技に詳しい友人たちが教えてくれた。実際、主人公の廻はアマチュアの高校生だが、プロに混じって練習をしている。
 格闘技をたのしむには、もちろん一定のリテラシーが必要だ。選手たちの身体の微妙な動きから、そこで何が起きているのかを理解し、そこにダイナミズムを読み込むこと。ところがぼくは、具体的に何をどう説明すればいいのか、そもそもどこを見ればいいのかもわからないのだ(何てひどいレビューなんだろう!)。

 それこそ何もわからない、に近い。それでも、読んでいてたのしいのだ。
 このマンガを格闘技に詳しい人が見れば、「この技のこの瞬間をこう描いているあたりがいい」といった感じで、逐一説明できると思う。きっと豊かなレビューになるだろう。なんといっても、選手たちの身体の動きが克明に描かれている。
 おそらく、マンガ的な誇張をできるだけ排して、選手たちの技の機微を可能なかぎり正確に描こうとしているに違いない。それは絵を見ればわかる。もとより描くのが難しい人間の身体の、さらに二人が組み合った状態だ。しかもそこに、微妙な動きや力の入りどころ、重心の移動や、筋肉の緊張といった要素が、それこそ複雑に絡み合った絵だ。

 絵のことなら多少はわかる。これがいかに大変な仕事かということも想像がつく。おそらく大量の写真資料か、動画で撮った資料をパソコンでフレーム分解するするなどの方法で、実際の選手の身体を見て描かれていると推察する。そこで、どの「瞬間」を切り取り、絵にするかという選択に、作家は腐心しているに違いない。その、克明な絵の力に、読む「たのしさ」が宿っているように思える。まだまだヒヨっ子の廻くんの試合だけでなく、彼の練習風景の描写を読むのが、とてもたのしいのだ。

 ここには「趣味」のたのしさが二重にある。まず物語世界のなかでの「趣味」。廻たちの練習のたのしげな様子に、こちらまでたのしくなるというものだ。その上に、作者の「趣味」からくる「たのしさ」が、それこそ紙面に満ちているように感じられる。
 だからこそ、格闘技に関心を持てずにきたぼくにも、すっと入れたのだろう。そして、ほんの少しだけれど、格闘技という、ある種研ぎ澄まされた機械のように身体を動かす感覚や、快楽のとば口に触れたような気もしている。

 思えば、ぼくはずっと運動が苦手だった。中学のころには、体育の成績で輝ける五段階の「1」をもらっている。身体のある部位と、別の部位を同時にうまく動かす、協同運動はいまでも上手くできない。ところが、四十歳を超えたあたりから、どうやらそれが身体の側の問題ではなく、身体を制御する意識の側の問題であることが薄々分かってきた。
 どういう理由からかはわからないが、長い間、「体を動かす」ことと、「頭で考える」ことが繋がっているという感覚がなかったのだ。身体の「運動」と「思考」がばらばらだったと言い換えたほうが分かりやすいところだが、それが、体を動かすにも、動かす部位に意識を向けて、力を入れたり、抜いたり、動かし方に工夫をすると、楽に動かせたり上手く動いたりすることが「ある」と気づいた。子供のころにスポーツ科学的なケアがあれば違ったのかな、と思わなくもないが、人間の発達としては、たぶんひどく遅いのだろう。

 そんなタイミングで出会ったのが、まさに「絵解き」と言っていいようなレヴェルで、格闘技の場面での身体の繊細かつダイナミックな動きを緻密に描くこの作品だったのだ。身体のある部位を動かすと別の部位はどう連動するのか、といったことが細かく描かれている。それは、物理でいうモーメントや慣性の法則といった、いわば「理づめ」のモデルとも合致する。

 そうか、みんなこういうものをたのしんできたのか。
 たぶんぼくが特殊なだけだろうけど、四十代になってあらためて知る新しい感覚があるということは、それはそれで結構うれしいものだと思っている。 (伊藤剛))

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