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おすすめマンガ時評『此れ読まずにナニを読む?』

第53回 『テルマエ・ロマエ』 ヤマザキマリ エンターブレイン

テルマエ・ロマエ ヤマザキマリ 表紙

(C)ヤマザキマリ/エンターブレイン

 基本的に、風呂に入るのがあまり好きではない。いや、そうは言っても毎日入るのだが、でも決して好きではないのだ。
 理由は、とにかく面倒くさいから。服を脱ぐのも、体を洗うのも、また服を着るのも、さらに髪を乾かしたりするのも(やるけど)非常に面倒くさい。ぼ〜っと湯船につかっていること自体も、へんに手持ちぶさたでこれまた「時間の浪費」というかんじがしてしまう。普段はむしろぼ〜っとするのは好きな方でさんざん無駄に時間を浪費しているくせに、我ながら妙なところでセコい合理精神が発動するのであった。しかし、好きじゃないにもかかわらず、風呂に入っている時間はかなり長い方なのである。これには切実な理由があって、私の場合は、とにかく半身浴をすると体調がぐっとよくなるので、ひたすら健康のために長時間、じっと湯につかる日々なのである。
 もとをたどれば数年前、原因不明で体調を崩したことがあった。大学病院にまで行って調べてもらってもどこにもはっきりとした病気はないのに、体調はなかなかすっきりよくならない。困り果て、目に入るあらゆる健康法をためした挙げ句、従姉妹が教えてくれた半身浴をなにげなくやってみたら、なんと体調が劇的に改善されたのだ。ご存じの方も多いだろうが、半身浴とはぬるめのお湯に胸から下を浸して30分以上入浴する健康法である。それまではあまりお湯にゆっくりつからずシャワー中心だったのだが、半身浴で冬でも汗をかくくらいに体を温めると非常に体調がよくなったので、好きも嫌いも面倒くさいも言ってられない!と、退屈対策に浴槽のフタに本や雑誌を載せて読む、といった工夫も凝らしたりして、現在まで長風呂生活を続けているわけである。
 そんなわけで、風呂にはヒジョーにお世話になっているし長時間入ってはいるが、あくまでそれは健康のため、という、いまひとつ風呂自体への純粋な愛には欠けている私である。が、そんな私が最近出会ったのが、風呂への驚くべき愛にあふれた人物が主人公のマンガ『テルマエ・ロマエ』なのだ。

 本作の主人公・ルシウスは、紀元128年のローマ帝国の建築技師。古代ローマの公衆浴場の設計について頭を悩ませる真面目な彼は、入浴中に、なぜか時空を超えて現代日本の銭湯にタイムスリップしてしまう。突然、平たい顔の人々に取り囲まれてとまどうルシウスだが、銭湯の壁に描かれた富士山や湯上がりのフルーツ牛乳に深い衝撃を受け、そこからヒントを得てローマに斬新な浴場を作る。その後も設計に行き詰まるたびに彼は「現代日本のさまざまな風呂限定」という不思議なタイムスリップを繰り返し、日本の風呂文化から、浴場設計のインスピレーションを受け続ける。
 二千年近いはるか未来にタイムスリップしている自覚がないルシウスは、毎回、(彼の時代において)最先端の文明大国であるローマにも存在しない未知の素材や道具にいちいち驚愕する。そしてときに、高度な文明から判断して、この国(日本)はローマ帝国以上の大国では、と疑い、「この傲(おご)りのない平たい顔族のすっとぼけた様子が逆に何とも腹立たしい!」とローマ人としての誇りがゆらいで葛藤するのだ。その姿は、本人は大まじめなだけに、とてもおかしい。おじいさんの家の風呂にタイムスリップしたときには、出稼ぎの高齢者ヘルパーさんと間違われて、言葉も通じないのにそれなりに話のつじつまがあってしまう様子にも思わず笑ってしまう。

 本作を読むうちに私は、時代も国も人種も違い、ローマ人として高いプライドを持つ、自分と共通点の少なそうなルシウスという人物になぜか強い親しみを感じてしまっていることに気がついた。それはひょっとすると、彼の「風呂への執着」のせいかもしれない。コラムニストの中野翠氏はかつて、日本の温泉の面白いところは、「勤勉」と言われる日本人が温泉では誰はばかることなく怠け者になれるという「怠惰の美学」を生み出したところではないか、と指摘し、「もし温泉でグータラするのが心底好きというガイジンがいたとしたら、その人は、サシミが好物というガイジンや、カブキを演じるのが趣味というガイジンよりも、精神的にずっと日本人に近いという感じがするのだ。」(『迷走熱』文春文庫、p.313)と言い切っている。
 そう、グータラとはちょっと違うかも知れないが、古代ローマの建築技師のルシウスが、「湯にゆっくりつかることによって疲れがとれ、リフレッシュできる」ことを前提として風呂に関して情熱を注いでいるところに、国と時代と骨格の違いを超えて、私は強い親近感を覚えずにはいられない。だって面倒くさいとブツブツ言いながらも、私も「湯船にお湯をはって、そこにつかることで疲れをとる文化」に(文字通り)どっぷりつかっている人間なのだから。現在はイタリア人の夫と息子とともにポルトガルに住んでいるという作者のヤマザキマリ氏は、浴槽のない家にあきたらず、ホームセンターで買ってきたプラスチックの幼児用浴槽をシャワールームに置いて、湯を溜めて体を「ん」の字にして無理矢理お風呂につかった気分を味わっているのだという。私もイタリア旅行の際、ホテルの部屋に浴槽がないことが事前にわかったため(もちろんわざわざ確認したのである)、スーツケースに百円ショップで買った食器洗いのプラスチック桶をしのばせ、夜な夜なそこに湯を溜めて足を浸す「足湯」をしてしのいだことを思い出してしまった。もはや湯につからずには1日が終わらない。そんな私は「ん」の字になってお湯につかる作者と、同じく湯につかることが人生の一部になっていたであろう古代ローマ人にも熱い連帯感を(勝手に)燃やすのであった。
 ちなみに作者は、若いころからイタリアで絵の勉強をしたという経歴の持ち主。そのせいか(?)、マンガの中では通常なかなか描かれない東洋人と西洋人の違いも描き分けられていて、「そうそう、西洋の人って顔の彫りが深いから、正面から見ると、目と眉毛がくっついて見えるんだよねぇ」「そして東洋人って、往々にして、顔が平たいせいで、目と眉のあいだが離れて見えるんだよねー」と、その表現に感心してしまった。ルシウスの心の中で「平たい顔族」と呼ばれている日本人の一員の私であるが、大まじめに風呂に情熱を傾け続けるルシウスの風呂をめぐる冒険、ときに大笑いしながら、これからも興味深く見守りたいと思う。
 余談ながら、イタリア人の旦那さまの実家のご家族との同居生活を描いた『モーレツ!イタリア家族』(講談社)というエッセイコミックも、本作とは全く違う作風ながら面白いので、こちらもオススメ。(川原和子)

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