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おすすめマンガ時評『此れ読まずにナニを読む?』

第50回 『百姓貴族』 荒川弘 新書館

百姓貴族 荒川弘 表紙

(C)荒川弘/新書館

ここ数ヵ月、「サンシャイン牧場」というネットゲームにハマっている。
 ネット上の自分の農園に、一定の時間をかけて作物や家畜を育て、収穫額を蓄積していき、その値に応じて牧場を拡大したり、育てられるものの種類が増えていったりするという、非常に気の長いゲームである。反射神経のニブいゲーム初心者の私でも、これなら簡単な上、ネットゲームなので他の参加者が自分の農園の世話をしてくれる、という他力本願要素も楽しく、つい毎日いそいそと自分の農園をのぞきに行ってしまう。なにしろ、ある程度放っておいても植物や家畜が「確実に」成長するし、災害もないので、一定時間がくれば「必ず」収穫できてしまう。この「かりそめの達成感」がやみつきになってしまったのだった。
 だがもちろん、これはコンピュータ上でのゲームでそう設定されているからであって、現実の農家はそうはいかない。そんな農家の実態を、軽妙に描いたエッセイコミックが、『百姓貴族』だ。

 作者は、二度もアニメ化された大ヒット作『鋼の錬金術師』の作者・荒川弘。荒川氏は、北海道の農家出身でマンガ家になる前の七年間は農業に従事していた、という経歴の持ち主なのだ。酪農と畑作の両方をやっていた、という農場の出身である作者は、野菜を買ったことがなく物々交換で手に入れていたと語り、米は米農家の親戚から調達、いまも冷凍庫は100%国産牛肉で満杯(実家直送)。「水がなければ牛乳を飲めばいいのに」と言い放つ、食べ物セレブ・「百姓貴族」なのだった……!!
 もちろん、そんな「貴族」の生活には苦労もいっぱい。農家は年中無休な上、肉体労働。丹精して世話した野菜をドロボーされることもあるし、台風がくれば牧柵も数年ものの堆肥もきれいさっぱり押し流されてしまうこともある。農繁期のスケジュール表はありえない忙しさ(0時から朝5時のあいだに「洗濯」「風呂」「ねる」「鮭の解体←?」がつめこまれ、あとは食事以外はすべて「牛の世話」「畑の世話」と働き通し!「寝る」が独立してないのがリアル……)。苦労してとれた牛乳を生産調整で処分するはめになることもある。そんなせつなさや怒りも、作者は重くなりすぎないシンプルな絵柄とエピソードで、さらりと語ってくれる。

 そして、東京より北で生活したことのない私にとっては、北海道の気候事情も新鮮だった。本来繁忙期のゴールデン・ウィーク頃に長雨が続き、農作業がないからと喜んで遊びに行ったら、なんと吹雪になる(5月なのに吹雪!!)。農業高校時代、朝実習で家畜の世話をするため寮を出ようとしたら、1メートルの積雪に行く手を阻まれる(スコップで道を作って進む)。笑ってしまったのは「アメリカンショートヘアを外飼いすると アメリカンロングヘアになるぞ!!」というお話だ。寒さに耐えようとネコを独自に進化(?)させてしまう北海道の気候、おそるべし。そして春になると、前年秋の収穫後に堆肥を撒き深く起こしておいた畑を、ロータリーという農機具で砕土しならす作業をするそうなのだが、種蒔き前のまっさらの畑は「広さ数ヘクタールの巨大キャンバス」になるという。広〜い畑のサラサラの土に、作者は足を使って、駆けていく馬の大きな絵を鼻歌交じりに描いていたという。見開きで描かれるそのスケールの大きな描写には、ひんやりとした北の春の空気を吸ったかのようにすがすがしく開放的な気持ちになった。

 数々の楽しいエピソードとともに、生まれるときに脊椎を痛めたらしく一度も立つことができなかった仔牛の処遇をめぐっての、厳しい決断も語られる。数週間毎日朝晩マッサージした仔牛でも、育たない家畜は赤字になるだけで、早めに処分するしかない。だがそこにはさらに、実験用動物にするか、ひと息に処分するか、という逃げられない二択が待っていたのだ。こういう部分には、作者の代表作『鋼の錬金術師』の世界観を思い出した。
 ファンタジー『鋼の錬金術師』の世界では、多くの少年マンガのように、登場人物たちの強さがやみくもにエスカレートしていったり、死者が生き返ったりはしない。主人公たちは「錬金術」という特権的な力を持つけれど、それは無から何かを作り出す魔法ではなく、何かを得ようとするならそれと同等の代価が必要という「等価交換」が基本原則だ。そして禁忌とされている人体(いのち)の錬成を試みた主人公たちは、報いとして肉体の一部(あるいはすべて)を失ってしまう。少年マンガとしては珍しいほどの、この厳しい世界観のルーツは、作者がいのちに直面し続けてきたこういう生活にあったのかも……と感じた。

 生活が便利になればなるほど、「農」の現場から遠くなっているのが現代の生活だ。私自身もここ十数年は、野菜を自分で育てることもなく、野菜も肉も「店で売っているもの」としての関わりしかしていない。そんな私や、「農」から遠い生活をする多くの読者にとっては、農作物を盗むヒグマ・キタキツネ・エゾシマリスといった野生動物と戦い、幼児の頃から農作業機のハンドルを握り(私有地だから……)、たまに間違えて動物用のくすりを人間がつかっちゃったり(すごい効き目!)という生活は、やっぱりかなりもの珍しく、語り口のうまさもあって、ひきこまれてしまう。
 そして、ここに描かれる、とにかく肉体を動かしまくって「食べるものの生産」に関わる生活を読んでいると、最近めったに使わなかった単語がふと、うかんできた。それは、「たくましい」という言葉だ。
 空調の効いた部屋のパソコンの前でネット上の牧場の世話をする(といっても、客観的にはクリックするだけだ)の「バーチャル農家」のひ弱な私に、その体験談は、圧倒的な厚みを感じさせてくれる。
 気楽に笑いながらも、ふと、自分の生活を支えてくれている「食」を含めた「いのち」のなりたちの基本について、思いをめぐらせたくなる。そんな一冊だと思う。(川原和子)

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