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おすすめマンガ時評『此れ読まずにナニを読む?』

第47回 『海月姫』 東村アキコ (講談社)

海月姫 東村アキコ 表紙

(C)東村アキコ/講談社

 最近、マンガ好きのあいだでは東村アキコが話題である。とにかくすさまじい連載数。『ひまわりっ〜健一レジェンド』(講談社『モーニング』)、『海月姫』(講談社『Kiss』)、『海月姫 英雄列伝☆』(講談社『Kiss Plus』)、『ママはテンパリスト』(集英社『コーラス』)、『東村アキコの妄想家族計画』(光文社『女性自身』)ほかコラム連載なども執筆、「月に100ページ超のペースでもう4年近く続けてますね〜。」と語る(『ダ・ヴィンチ』2009年12月号 p.26)。
 おそるべきハイペース。しかも疾走感のあるハジケた面白さで、目が離せないのだ。料理研究家にしてディープマンガ読みの福田里香氏が、「東村さんは今最高にノッている。おもしろくなりそうなところを探して、広げていく力 = 連載力がある人」と評しておられたが(『Frau』2009年9月号p.96)、「連載力がある」とは言い得て妙。まさにそのとおり!と膝を打った。『ひまわりっ〜健一レジェンド』では脇役キャラが大活躍して、もはや父・健一はどこに?いや面白いからいいんだけど、みたいな面も含め、雑誌連載のライブ感を満喫できる作家なのだ(※もっともつい最近、父・健一がひさびさに、おいしい場面で活躍をみせた。油断ならない!)。そんな充実連載のなかから今回は、女性誌『kiss』で連載中の「海月姫」をご紹介したい。

 クラゲが大好きな女の子・倉下月海(18)が暮らす男子禁制のアパート・天水館。そこには筋金入りのヲタ(オタク)女子が集っていた。ある日、月海は愛するクラゲのピンチを救ってくれた女子を部屋に泊めるが、なんと彼女は女装の男子だった・・・!おしゃれで男子、という月海にとって苦手要素てんこもりの彼の名は蔵之介。モテまくり遊び飽きた蔵之介はなぜか月海や天水館を気に入ってしまい、女装姿で足繁く通ってくる。
 やがて、メガネに三つ編みおさげというしゃれっ気のない月海は、ファッションセンスとメイクテクを誇る蔵之介の手で美しく変身させられる。
 「さえない女の子が美しく変身」というのは古典ともいえる少女マンガ的モチーフなのに、女の子がオタクで、変身させるのが女装男子、というのが東村流。さらに、蔵之介の兄で議員秘書の修(カタブツの上、30にして童貞)は、変身後の月海に恋してしまう。が、ふだんの月海のことはなんと同一人物と気づかず、あろうことか、気持ち悪い(!!)、とまで思っているのだった・・・・・・。ああ、少女マンガ的「美しく変身してメデタシメデタシ」ではおさまらない、このミもフタもなさ!月海の繊細な乙女心を表現したモノローグを描きつつも、同時に他者の残酷な本音もさらりと描くあたりに、作者流の「人間、おしゃれな皮一枚で相手の反応、こうも違うもんッス」的なクールな視点を感じるのだ。
 全員独身で彼氏のいない天水館のヲタ女子たちは、自分たちのことを「尼〜ず」と呼んでいる(そのこころは「男を必要としない人生」)。
 「ぬを〜」などという不自然な雄叫びに「〜ですぞ!」という芝居がかった語尾、おしゃれ人間相手だと気後れして目も合わせられない内気っぷりなのに、いったん自分の愛するものについて語り出すと一転、メガネの位置を直しながら抑揚のない早口でものすごい勢いで説明をはじめて相手をひかせまくる。
 ぬを〜〜!!あなたは私ですか!?とてもひとごととは思えぬ・・・・・・!!
 いや違うんです、早口でとうとうと説明してしまうのは伝えたいことがたくさんあるからつい気がせいてこうなってしまうだけで普通の人から見たら不自然かも知れませんが私にはこれが自然なのであって・・・・・・ハッ、いけないいけない。すっかり「尼〜ず」の一員になりきって句読点もなしに一気にしゃべってしまった。
 ええ。言うまでもなく私も、マンガを愛しすぎているヲタ女子です!
 ・・・・・・ふだんはなるべく相手をひかせないように、と心がけてはいるものの、本質はこうだ、という自覚があるだけに、東村氏の容赦のない描写には「こ、こんなホントのことを・・・・・・・・・!」と戦慄と、熱い共感を覚えた次第である。

 そんなヲタ女子が集う天水館だが、地上げによって立ち退きさせられそうになる。天水館がなくなると行き場を失う尼〜ずだが、反対したくても内弁慶揃いの彼女たちにはハードルが高すぎる。そんな尼〜ずを蔵之介はおしゃれに変身させて、こう言うのだ。「悲しいけど世の中には人を見た目で判断するやつがいぱいいるんだ」「もちろん敵もそういう奴らだ だから・・・」「鎧を身に纏え!!!!」(2巻p.90)
 おしゃれして恋愛すること。現代社会に生きる女子にとって、これらはもはや「義務!? 義務なの!?」と言いたくなるような強制力を持っている。恋愛にもおしゃれにも興味のない「尼〜ず」は、そういう世の中が要請する「おしゃれな女の子」像から外れている者同士で寄り集まって生きている。一方、彼女たちに「鎧を身に纏え!!!!」と言う蔵之介は、政治家ジュニアという重責から逃げるために趣味もかねて女装しているのだった。
 彼や彼女たちは、形は違えど、いまの世の中のメインストリームとは違うものを愛しすぎていたり、求められる役割に違和感をもっていたりする人たちだ。そういう人たちのツッコミ合戦や不思議な行動に大笑いしながらも、月海の「どうして 女の子はキレイじゃないといけないんですか」というモノローグにふと、「あれ?そういえばどうしてだろう・・・」と思ったりもするのだ。
 キタナい男はキタナくても男だけど、キタナい女は女とみなされないのが今の世の中。だから、なかば習慣として、外に行くときにメイクしたり小綺麗に装う。でも、コレってよく考えたら・・・なんか、・・・女装?女だけど、女装してるってことじゃね?などと、「装う」ということの本質の一面に気がつかされたりするのだった。

 基本、親からの仕送りで似たもの同士で暮らす「尼〜ず」の生活は、基盤が不安定でかなりダメっぽいが、その暮らしっぷりには抗いがたい甘美さもある。ことに私のようなオタク的人間には「私の中の尼寺」が反応してしまうのだ。そして、ここで描かれる関係や疑問は、実はかなり深い部分をもっていると思うのだ。
 ただ、ひとつだけ、ヤボを承知でツッコミを。
 作中では「なにかひとつのことに並はずれて熱中するしゃれっ気のないヲタ(オタク)女子」=「腐女子」、と定義されている。しかしオタクまわりの用語としては、「男性同士の恋愛を描いたストーリーを好む女子」のことを「腐女子」と呼んでおりまして、クラゲオタクや鉄道オタクの女子は、厳密には「オタク女子」ではあるけど「腐女子」ではない、と思うのであります!以上、オタク特有の過剰に定義にこだわるかんじでちょっと指摘させてもらいました。すみません。

 『ひまわりっ』にも、同人誌で三国志マンガを描いているウィング関先生(こちらはまごうことなき「腐女子」)や、そのファンでのちに合作でプロを目指す副部長、といったオタク女子が描かれるが、その容赦ない描写にもかかわらず、オタクの一員である私もなぜかあまりいやな気持ちがしない。それはたぶん、作者がおしゃれ女子にもヤンキーにもオタク女子にも同等に、鋭い観察眼と表現力、そして同じ距離感でツッコんでいて、その的を射たツッコミが、つきぬけた笑いになっているからだと思うのだ。
 前出の『ダ・ヴィンチ』のインタビューによると、作者はこの量産ぶりにもかかわらず、就業時間は10時半から19時までを厳守し、お子さんがいるため土日は休み。そしてまったくストレスなくものすごいスピードでネーム(絵コンテ)を描く、というのだ。さらに、こんなに忙しいはずなのに、仕事以外でも、他の作家のパロディ作品まで描いている・・・・・・!!超人か!!と驚くと同時に、「本当にマンガが好きなんだなあ」と感動した。
 最近よく、仕事を選ぶアドバイスとして「好きなことを仕事にすればがんばれます」という言葉を目にするが、それがなかなかできないのが凡人である。だがここに、好きなことを仕事にして、軽やかに、ハイスピードで疾走している人がいる!
 面白い上に一人の仕事人としてもかっこいい。それがいまの東村アキコなのだ。(川原和子)

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