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おすすめマンガ時評『此れ読まずにナニを読む?』

第41回 『ギャグマンガ日和』 増田こうすけ (集英社)

ギャグマンガ日和 表紙

(C)増田こうすけ/集英社

 ギャグマンガについて何か書くのは、難しい。
 笑いを説明するというのは、ヘタするとすご〜く野暮になるからだ。「このギャグのどこが面白いかといいますと・・・」と、できそこないの林家三平(先代)みたいなことをやるわけである。空しい。
 ・・・・・・(気を取り直して)、そんなリスクをもかえりみず、紹介したいのが、今回とりあげる『ギャグマンガ日和』だ。

 私が最初にこの作品と出会ったのは、友人のお宅にお邪魔したときだった。「これ、面白いですよ」と手渡された単行本を「ふーん」とパラパラめくっていたら目にとびこんできたのが、道にあおむけに倒れた人(松尾芭蕉)が、もう一人の直立した人(弟子の曽良)に、寝たままお金を渡すシーン(あとから確かめたら、2巻 第20幕p.91)。
 うわあああああ!すごい絵見ちゃった!とそのとき思った。
 説明するまでもないが、普通は、あおむけに倒れた人が立っている人になにかを手渡すには、立ってる人がしゃがむか、倒れた人が上体を起こさないと、手は届かない。
 でもこの一コマでは、人が「倒れたまま、直立した人の手にお金を渡す」というムリを通すために、倒れた人の手が、めっちゃ不自然に伸びて描かれていたのだ。しかも、そのことに何の説明もなく。

 ・・・・・・この、「これじゃ届かないから、手は長く描いちゃえ☆」という、「人体の構造」という現実を、軽やかに、かつ過激にねじ曲げて描いてしまう発想。
 ・・・・・・小学生だ。
 これは、小学生にしかできない発想だ!! (ホメ言葉です)
 こんな絵を描くプロマンガ家がいるなんて!! (ホメ言葉です)
 読むしかない。と単行本を手にとって以来、気がついたらハマってしまっていたのだ。

 『ギャグマンガ日和』は、大きく分けるとだいたい3つの種類の短編からなっている。
 1つ目は、歴史上の人物や昔話に大胆かつテキトーなアレンジを加えたタイプ。登場するのは、たとえば、なぜかジャージ姿の聖徳太子とノースリーブジャージの小野妹子のしょーもないやりとり(ジャージの袖の長さが朝廷での地位を表しているらしい)。「奥の細道」を著した俳人・松尾芭蕉と弟子の曽良の旅は、9割くらいスランプでダメ俳句しか詠めないオッサンの芭蕉と、そんな師匠をつねに冷たく突き放す弟子の曽良の珍道中。ペリーは重要な国書をヤギに食べられ絶望するし、ガリレオは実験より自分の恥ずかしい愛読書を見られまいと必死。なぜか5代将軍の名前がちゃんと言えない徳川綱吉や、ねむけに弱く討ち入り先を間違える大石内蔵助など、著者・増田こうすけが展開する世界の偉人達はなんだか情けなくも憎めない人々だ。
 2つ目は、ふしぎな現代(?)劇群。ツタンカーメン部や半開き部、おばけ屋敷部など、わけのわからない部活をやる羽目になる高校生、人助けのために開発されたはずが妙ににくらしい態度をとるロボット。ものすごい怖がりのヘタレ陰陽師も登場。小学生のケンスケ君にマンガの描き方を教えてくれるマンガ博士(39歳。本当は41歳)はどうにも経済的に逼迫しているようで、ちょっと教えては授業料を要求。マンガの技術より大人の薄汚さを教えてくれたりする。
 3つ目は、なんとも言い難い解説マンガや4コマ(たまに2コマ)マンガ群。「はじめようモッヂボール」などと架空の競技について淡々と説明していたり、「めざせプロサッカー選手 AJリーグ入門」では、さりげなくも執拗に高額な印鑑の購入(おいおい)を勧めていたりするのが不思議な味わいになっている。
 こんな、無邪気さと大人の腹黒さとがまざったりすけて見えたりする作品群が交互に描かれるのが、タイトルにもある「増田こうすけ劇場」である『ギャグマンガ日和』なのだ。

 それにしても、『ギャグマンガ日和』の不思議な言語センスは読んでるだけで強烈に伝染してくるので困る。
 どう考えてもあやしい英会話教室HELLの職員が、
「だって僕は心の中では人をボロクソ言うけど面と向かっては言いたい事を言えない 
そんなやさしい人間なんです」
と堂々と言うのには思わず大笑いした(1巻 第2幕P.28)。面と向かって言いたいこと言ってるだろうソレ。
 他にも、愛犬にバカにされて語尾を変えることにした西郷隆盛の考えた「ごわスマッシュ」という語尾を気がつくとつかっていたり、やたら言葉を略してかえってわかりづらくなったりといった楽しい(?)副作用があるので要注意。
 ところで、連載マンガは往々にして、長く続けるうちに最初とは絵柄が大きく変化したり、内容が暴走してまったく違う作風になっていたりすることがある。まして、常識やきまりごとから外れていくことで笑いを産み出す構造のギャグマンガにおいては、前と同じ事をやっては笑えない、という制約が生まれがちで、「進めば進むほどどんどん選択肢は少なくなる」(いしかわじゅん『漫画の時間』新潮社OH!文庫 p.115)傾向があり、その苦しみに耐えきれなくなったギャグマンガ家は少なくない。
 だが、2000年から連載スタートして現在も『ジャンプスクエア』で連作中の本作に関しては、ちょっと驚異的なほどに「最初と同じ雰囲気」のままだ。
 理由の1つとして、著者が意図したものではなかったかもしれないが、週刊ではなくて月刊誌での連載(『月刊少年ジャンプ』で連載開始)、しかも1回のページ数は少なめ、という「ゆるめペース」だった点も大きいのかもしれない。
 飽きっぽい読者を惹きつけるには週刊ペース!というのが少年誌・青年誌の常識のように思えるが、本作は単行本は1年に1冊、という比較的スローペースで、でもコンスタントに作品を描き続け、2005年にはなんとテレビアニメ化までされる人気作になっているのだ。そんな本作は、「マンガって、いろんなあり方があっていいよね」という、よいモデルパターンにもなっている気がする。
 これからもなんとなく同じような調子で、小学生のこころ(稚気)と大人のいやな分別(毒気)をたまににじませる独特な作風を保ちつ、面白い作品を描いていってくれるといいなぁ、と思う。(川原和子)

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