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おすすめマンガ時評『此れ読まずにナニを読む?』

第37回 『エンゼルバンク』 三田紀房 (講談社)

エンゼルバンク 表紙

(C)三田紀房/講談社

 これを告白するのはかなり勇気がいるけれど、私はビジネス書や自己啓発書の類を読むのがけっこう好きだ。
 なぜ「勇気がいる」のかと言うと、正統派の読書好きな人からは、ビジネス書(ことにハウツーもの)の類は、即物的な「実効性のみの世界」だと、とても冷たく見られてしまうことが多い気がするからだ。そして、そういう本を読んでいる、と言うと、「そんな本を必死に読まないといけないくらい、能力がないんだ・・・」と思われてしまいそうなのが、愛読を告白しづらいもう一つの理由だ(本当にそうだとしても、人に「ダメな奴だと思われる」のは、やっぱり辛い)。さらには、

「えっ、ビジネス書を読むのが好きなのに、その体たらく!?」
「全然役に立ってませんね」

 と思われてしまいそうな気がするのだ。被害妄想だろうか。なんか、太っているのにダイエット本を読むのが好き、と告白したような心境になってしまった。
 ・・・・・・たいした効果も出てないのにビジネス書好きで、ホントにすいません。
 思わず架空の感想に謝罪してしまう次第である。

 さて、そんな「ヘタの横好き」的ビジネス書好きの私にとって、最近の強力な楽しみになっているマンガが『エンゼルバンク』だ。
 青年週刊誌『モーニング』で連載中の本作は、高校教師から一転、転職をサポートする転職代理人となった井野真々子が直面するさまざまな課題や彼女が出会う転職希望者を通して、現代の「仕事」をめぐる多様な側面を描いている。
 作者の代表作『ドラゴン桜』は、落ちこぼれ高校生たちが、型破りで優秀な指導者のもと東大を目指す、という「受験」マンガだったが、『エンゼルバンク』はその外伝。転職を通して、社会人にとっての仕事とは、転職の有利な方法とは、そもそも何故転職するのか(しないのか)、といった問題がドラマとして展開されるのだが、これがめっぽう面白いのだ。

 転職を考えているわけでもない私にもこの作品が面白いのは、主人公・井野真々子が抱く疑問に対して、『ドラゴン桜』で学校再建をやってのけた弁護士・桜木や、転職代理業会社の個性的な上司・海老沢の強烈な助言を通して、仕事や社会に関して「なんとなく、こうだろう」と漠然ともっている思い込みが気持ちよく裏切られ、目からうろこを落としてくれるためだ。その内容は、ときに理詰め、またときに、論理では割り切れない人間の感情に基づいていて、強い説得力がある。

 以前、著者である三田紀房氏のインタビューを読んだとき、印象的だったのは、作者が作品の「売り方の工夫」にまで言及していたことだ。
 大学受験のメソッドを扱った『ドラゴン桜』のオビの見返し部分には「書店の皆様!! ぜひ、参考書コーナーに置いてください!!」とあった。実際、『ドラゴン桜』は三田氏の思惑通り、受験生だけでなく、その親たち、という普段マンガに馴染みの少ない層にも熱心に読まれ、ドラマ化もされる大ヒットとなった。就職活動をテーマに集英社の『スーパージャンプ』で連載中の『銀のアンカー』についても、作者は、就活は狭いマーケットというイメージがあるけれど勝算はあった、と言い切る。
 その戦略とは、「『世間の真逆を行く』こと、そして『世の中が答えを求めていること』」を描くこと。「それが見事に就職活動というテーマと合致した」と、三田氏は勝算の根拠を語る
(シュウカツコミュニケーションサイト「ジンコム」インタビューよりhttp://www.91922.com/2009/?cn=100353)。

 「世間の真逆を行く」ことに着目し、かつ「世の中が答えを求めていること」を描く。これはまったく、本作『エンゼルバンク』の内容にも共通している姿勢だ。
 そして本作のオビにもやはり、「書店の皆様!! ぜひ、ビジネス書コーナーに置いてください!!」とある。作者は、作品を「どんな読者に、どう届けるか」までを戦略的に考える視点をもちあわせ、作品を描くのみならず、それが書店にどう置かれ、どういった読者に手に取にとってもらえるかまでを冷静に見通し、仕掛けを考えることが出来る、すぐれたプロデューサー的資質をもったマンガ家なのだ。

 作中では、転職希望者に五角形を書いてもらい、それぞれの頂点に、仕事をするうえで大切と思う5つの要素(たとえば給料、やりがい、将来性など)を書き出して、現状と転職後の希望とで5点を満点とした点数をつけてみる、という場面が出てくる。こういった図をマンガにあてはめて考えてみると、三田氏の作品は、マンガにとって重要な要素の1つである「絵」においては、突出した力があるとは言い難い面があるように思う。だが、テーマへの着眼点や見せ方の面白さ、わかりやすさ、そして作品の売り方の戦略をたてる力までもがずば抜けて高いため、総合点で充分、「人気」という結果を出してきたのではないだろうか。エンターテインメントのテーマとして人が目をつけておらず、しかし、潜在的に答えを求められている分野を探し当て、それをテーマに作品を描いて、ヒットをとばす。そんな作者自身の姿勢もまた、作品内の桜木や海老沢の主張と重なって見える。

 そして、本作のあるセリフには、思わず膝を打った。
 上司から聞いた言葉として、主人公・井野真々子はこう言う。

「世の中で本当に大切なルールは明文化されていない」
「成功する人はそのルールを把握し それに従って行動できる人のみだと」(第3巻)

 そ、それだ――!!
 それを知りたい、という気持ちこそが多分、私が性懲りもなくビジネス書を読んでしまう理由だ。
 そう、つまり私はおそらく、明文化されていない、世の中の「見えない、本当に大切なルール」を知りたいのだ。
 その「見えないルール」を知ることは、もちろん直接金銭に直結するような「欲」にも結びついているけれど、きっとそれと同等かそれ以上に、「知る喜び」を刺激してくれる気がする。
 ・・・・・・などと1人で頷いていた私だったが、一方、作中の弁護士・桜木は、こう指摘する。
 自己啓発本を読んだ人の反応は「へえ」と「そうそう」に分かれる。
 「へえ」と思うタイプは、内容に感心して実践しても結果が出ないと本のせいにして、すぐ次の本に手をのばす。結局、普段自分で何も考えていないから、こういう人は成功しない。
 一方、普段から自分でモノを考えている人間は、本に書かれていることを読んで「そうそう」(自分の考えと似ている)と思う。
 そして、成功するのは後者だけなのだ、と(第4巻、筆者要約)。

 ここを読んで思いきり「へえ〜!」と感心した私は、次の瞬間、あ・・・・・・「へえ」って言っちゃった・・・・・・と、がくり、とうなだれたのだった・・・・・・。

 ・・・・・・しかし、いつまでもうなだれてはいられない。
 鋭い指摘にときに涙目になりつつも、今後も本作にぐいぐい引き込まれつつ、ビジネス的な思考を鍛えていきたい、などとひっそり思う次第である。(川原和子)


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