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おすすめマンガ時評『此れ読まずにナニを読む?』

第36回 『07-GHOST』 雨宮由樹・市原ゆき乃 (一迅社)

07-GHOST 表紙

(C)雨宮由樹/市原 ゆき乃/一迅社

 正直に告白しよう。読むのに普段の倍は時間がかかった。いや、もっとかもしれない。
 架空世界の「バルスブルグ帝国」を舞台に、帝国に滅ぼされた隣国「ラグス王国」の王子だった少年を主人公とするファンタジー作品である。描線は徹底して流麗であり、画面は白黒のコントラストを十分に計算して作られている。つまり、表現上の洗練が見て取れる。だが、たいへん「読みづらい」のだ。

 このウェブマガジンの多くの読者には、まず馴染みのない作品だろうと思う。
 では本作がマイナーなものかといえばそうではない。この4月から深夜帯のTVアニメが放映されているとおり、10代の女子を中心に一定の人気を得ている。
 マンガ家養成系の大学や専門学校の教員をやっていると、このマンガのようなスタイルの作品が、若い読者に熱っぽく支えられていることが肌で感じられる。オタク向けとされるコンテンツが、10代向けであるような建前を持ちながら、その実、30 〜 40代によって消費されることの多い昨今、本当に際立って10代を中心に受容されている稀有なマンガジャンルであるといえるだろう。
 その一方、これほど言説の場で「語られない」ものもない。
 このマンガジャンルの特徴を記述するなら、「少年を主人公にしたファンタジーアクションものでありつつ、少女たちを読者とするもの」となる。いわゆる腐女子的な想像力と親和性が高いが、直接的にゲイセクシャルな性描写はともなわない。本作の掲載誌である「コミックZERO-SUM」(一迅社)など一群の雑誌に掲載されている。

 だが、こうしたジャンルの作品群は取るに足らないものだと断じてもよいのだろうか。私にはどうにもそこがひっかかるのである。絵柄を一瞥しただけで、「こんなものは、ごく一部の特殊な人たちが愛好するだけの、くだらないものだ」と即断するひともいるに違いない。職業上の要請というだけでなく、またそういった「不当な」評価に対抗しようというだけでなく、自分の内に「ひっかかる」ものがあった。そうでなければ、持てる分析の手法を駆使してまで「読もう」とは思わなかっただろう。
 つまり私はとまどいながらも、いかにも若く、未熟で、幼稚なものに見えるこのマンガジャンルに、抗しがたい魅力をわずかでも感じているということである。もし私がいま15歳だったら、あるいはハマっていたかもしれない、という言い方もできるだろうか。

 さて私は、冒頭に「読みづらい」と書いた。
 それはつまり、マンガとしての表現上の構造が私が慣れ親しんだマンガの文法とは異質であることを意味している。
 たとえばアクションシーン。登場人物同士の位置関係や動きが追いにくい。ぱっと見ただけでは何が起きているのかもつかみにくかった。またシーンごとに、どの人物の感情に寄り添って描かれているのかもわかりにくい。この「わかりにくさ」の原因のひとつは、古典的ハリウッド劇映画の文法との相似で語れるような、いわゆる「映画的技法」との距離に求められるだろう。いままで慣れ親しんできたマンガ、とくに青年・少年マンガは、その基本的なところで「映画的技法」を軸としている。
 「映画的技法」に限らず、コマわりのほかの面でも、やはり「わかりにくい」。
 たとえば、読者の目を留める大ゴマにキャラのアップが置かれた場合、それはストーリー上の転換点や強調したい点となることが従来のセオリーだ。だが、たとえば主人公の少年が自分の名前を言うアップが大ゴマで置かれ、これは全体のストーリーの節目として機能するのかな? と思って読み進めると、必ずしもそうではなかったりする。彼がその場所で「名乗った」ことによる事件がとくに起きるわけではないのだ。随所でどこまで読んだのか分からなくなりがちだったのは、おそらくこのせいだろう。

 私がとまどったのは、こうした表現上の差異以外にも、この作品が「いま」のサブカルチャー的記憶の、本当に手近にある断片で満たされていることだった。「バルスブルグ帝国」や「テイト=クライン」というように、ヨーロッパ風だが無国籍で「それ風」なだけの名称が用いられるのは、ファンタジー作品のみならず昭和の昔の児童マンガにまで遡れることだが、たとえば、敵役である「帝国軍の参謀長官」が「アヤナミ」という名前である。もちろん、直接の参照項は『新世紀エヴァンゲリオン』の綾波レイであろう。
 『エヴァ』といえば、1990年代、もはや自分たちにはオリジナル作品を作ることはできないという諦念のもと、サブカルチャー的な記憶の断片を継ぎ合わせ、手近なものだけで作り上げられた作品である。『エヴァ』の時点でも、それはすでに安っぽくジャンクフードめいたものと認識されていたはずだ。その更なる引用があっけらかんと行われている。

 すべてが安っぽく、ジャンクであること。
 それは作者が若く未熟だからにすぎないのか? しかし、本作は決して孤立したアウトサイダーの手になるものではなく、間違いなく一定の様式がある。あまつさえ、キャラ絵のレヴェルでみれば、技術的な洗練と達成を見ることができる。
 たとえば、当初、主人公テイト=クラインは「士官学校」の(これまた、いかにもな)制服を着て登場するが、時を置かず囚われ、両手を太い鎖で繋がれる(彼が「戦闘用奴隷」という身分で育てられたことに由来する)。
 これらの極端な意匠は、一枚絵のイラストで見せるとき、よりキャラを魅力的に見せる意匠が導入されていると考えれば合点がいく。私が「様式」と言ったのは、主にこのレヴェルでのことだ。拙著『テヅカ・イズ・デッド』などをお読みの方には繰り返しになるが、ここでいう「キャラ」とは、一般に物語の登場人物と同義の「キャラクター」ではなく、「比較的に簡単な線画を基本とした図像で描かれ、固有名で名指されることによって、『人格・のようなもの』としての存在感を感じさせるもの」である。
 こう定義したうえで、この「キャラ」の存在感が、マンガやアニメなどの「物語る」表現形式に先行するというのが、私の議論の骨子である。そしてキャライラストとは、一枚の絵で、いかに「キャラ」が「いる」という存在感を感じさせるかに特化した表現ということもできるだろう。

 ネットを逍遥してみれば、そうしたキャライラストには、いくらでも出会うことができる。一枚絵の領域では、物語(の断片)の想起は、キャラの存在感を高めることとほぼ同義になる。
 主人公テイト=クラインの鎖や、奇妙な軍服は、確かに物語の世界観と不可分であろう。一方、彼が、滅ぼされた王国の王子という出自を持ち、秘められた力を持ちながら、記憶を失い、卑しい身分であったことは、それこそ神話的な貴種流離譚の構造をなぞるものではある。
 だが私は、物語構造を先に見てとるよりは、描画のレヴェル、キャラ絵のレヴェルのリアリティを強めるものとして、これらの意匠を見る態度をとりたいと思う。

 一枚のキャラ絵によって「物語」が想起されるよりも手前で、まずはそのキャラが「いる」という存在感・生命感が先行しているはずである。そこに感情のレヴェルで「人格・のようなもの」を見出すというレヴェルがまず最初にある。主人公の両手をつなぐ鎖も、奇妙な軍服も、この感情のレヴェルで、そこに「いる」というリアリティを強化するものではないか。であれば、マンガで物語るにしても、コマの連続で物語る話法(「映画的技法」は、その一例である)は、必ずしも必要ではない。一枚絵と、わずかな言葉によって「キャラ」のリアリティを前面に出し、それにより「物語」を牽引する方法が、すでに確立しているのではないか。主人公が「テイト=クライン」と自分の名を言うコマが、一般的な意味での「ストーリー」に組み込まれることなく、しかし強く印象に残るものであったことを思い起こそう。まさにそこにあったのは、魅力的なキャラ絵と、固有名の組み合わせではなかったか。

 少なくとも、こうしたキャラのリアリティの前面化がもたらすものは、間違いなくあると考えられる。
 本作で繰り返し語られる、登場人物が互いを「かけがえのない存在」として見出す、あまりにも強烈な感情のほとばしりには、酩酊に似た感覚を憶える。それは、私たちの日常の生活のなかでは、間違いなく存在はするが、普通は隠蔽され抑圧されるものである(隠蔽され、抑圧されることで生活を円滑に進めているとも言える)。しかもそれが、あまりにも直截な、あまりにも生のままのセリフや行動で示されることに心を打たれる。

 この作品は、ジャンクのようなサブカルチャー的な記憶と、キャラ絵の受容でつながる共同体に担保された感覚<のみ>で成立している。それはひどく貧しいものかもしれない。
 だが、あまたある「実用的なマンガ」のように、医療現場の問題やワインの薀蓄といった「現実」の情報との接続をリアリティの担保とすることができない分、逆に「私が私であること」や「関係性のかけがえのなさ」といった、ひとが生きるうえでの基層をいきなり出すことができるのではないか。私は、「貧しさ」のただなかであって、むき出しの生を描こうとする切実さに少なからず打たれるのである。

 それどころか、いま私がマンガを描くのなら、こうしたものかとも思い始めている。もっとも私の技術では、キャラ絵にここまで強度を与えることは不可能なので出来る話ではないのだが。

 生まれてくるのが早すぎたのか? などと思ったりもするのである。(伊藤剛)
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