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おすすめマンガ時評『此れ読まずにナニを読む?』

第30回 『海街Diary』他 吉田秋生 (小学館)

海街Diary 1 表紙

(C) 吉田秋生/小学館

 先日、初めて鎌倉へ行った。仕事の用だったのだが、これまでたまたま訪れる機会がなかったのだ。駅前から続くちいさな通りは、すっかり観光客で埋め尽くされ、東京から小一時間とは思えない独特の雰囲気があった。神奈川県のほかの街のような、匿名的な「郊外」ではない。鎌倉が個性豊かな、特別な土地であるということは、数々の映画や文学が鎌倉を舞台にしていることからもうかがえる。吉田秋生の最新作『海街Diary 』シリーズもそうだ。マンガに関連して、タウンガイド『すずちゃんの鎌倉さんぽ』が出されるほど、鎌倉という土地に密着している。ぼくの「初鎌倉」は、この副読本を買った矢先のことだった。

 昨年、今年と、いわゆる「マンガ読み」が選ぶ年間ベストには、このシリーズの名前がある。ベテラン吉田秋生の健在ぶりを示すスマッシュ・ヒットという感じだ。若い四姉妹を中心人物に、主人公的な視点となる人物を変え、挿話を重ねながら「家族の物語」を描く。複数の登場人物の心情を丁寧に描き、からませつつ、プロットの複雑さを感じさせない手腕や、いい具合に角が取れたやさしい筆致は、ベテランならではといったところだろうか。

 と、ここで、あらすじを書き綴るのは、どうにも野暮なんじゃないか。
 主人公たち姉妹の心の動きや、壊れた家族の再生といった主題を、そのまま追うことがストーリーの味わいになっている。だから、「すずちゃん、可愛いよね」とか「いい子だよね」と、キャラクターから入ったほうが、よほどましなような気がする。

 鎌倉タウンガイドのタイトルにも組み込まれた「すずちゃん」とは、物語の中心にいる四姉妹の末の「妹」。中学一年生、サッカーチームで男子と一緒にピッチを駆け回る、快活で気持ちのまっすぐな少女だ。とはいえ、姉たちとは母親が違い、山形という遠い土地で生まれ育っている。彼女たちは、父の葬式をきっかけに知り合い、鎌倉でともに暮らすようになる。その、不在の「父」をめぐる物語が『蝉時雨の止むころ』で描かれる。三姉妹の父は母子を捨てて他の女性と出奔し、そこで生まれたのがすずなのだ。物語は、三姉妹が父の死を受け入れ、許すことでひとつの区切りをみる。そして、末妹のすずを迎えることで、新しい「家庭」が動き出す。『蝉時雨の止む頃』の後半、『昼間の月』の前半、すずを主人公に語られる物語は、思春期前期の少女の物語として、切なく、しかも楽しく読むことができる。彼女のひたむきさ、やさしさが中心にあるためだ。

 一方、この作品の主題は母と娘の物語にも置かれている。娘にとって「重い」母親の存在、という主題だ。すずの「姉」たちの実母は、夫の出奔後、自らも子供たちを置いて家を出てしまう。三姉妹は祖母に育てられ、その祖母の没後、病院の看護士を職にする、しっかり者・長姉の幸を家長に暮らしてきたのだ。母と娘の物語は、この幸を主人公に描かれる。ひとくちでかいつまんでしまえば(例によってこれまた野暮なやり方で恐縮なんだけれど)、彼女が母親を「許す」までの物語だ。

 事実上の二巻まで進んだ現時点から遡れば、先の『蝉時雨の止む頃』での、幼くして「しっかり者」であることを強いられたすずに向けられた幸の視線のありようが、よりくっきりとしたものに感じられる。彼女はすずに少女時代の自分の姿を見たのだろうと。そして、すずを引き取り、彼女の「保護者」となった彼女からは、自分もまた「母」になってしまうことへのかすかな抵抗が読み取れるようにも思える。とはいえ、男の読者であるぼくにははっとさせられるセリフや展開の多い本作のことだ。この程度の読みなど「そういう ロマンティックな ことを考えるのは たいてい男だから」と、作中のセリフそのままで返されてしまうかもしれないけれど。(伊藤剛)

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