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おすすめマンガ時評『此れ読まずにナニを読む?』

第26回 『おかめ日和』 入江喜和 (講談社)

おかめ日和 表紙

(C) 入江喜和/講談社

 『 BE LOVE 』という大人の女性向けマンガ雑誌をご存じだろうか。主婦をターゲットにしていると思われる、講談社から月に2回発行されている、なんというかたいへん地に足がついた雑誌である。以前、いかにこの雑誌が「うわついていない」か、ということを、評論家・明治大学准教授の藤本由香里氏が「星占いページを見たらわかりますよ」と指摘されていた。
 若い女性向け雑誌なら、ラブ運などが大々的に書かれるはずの星占いページだが、大人向けの『 BE LOVE 』では、たとえば双子座は「ご近所づきあいでハラハラしそう」、蠍座は「義理の両親が力になってくれることも」(!!)、そして、獅子座は「質素倹約をしておくのが無難」などと書かれているのだ。「ご近所づきあい」に、「義理の両親」に「質素倹約」。うーん、なんという地に足つきっぷり。「星占い」、というウキウキふわふわしたイメージもどこかにふっとび、思わず背筋をのばして正座して読んでしまいそうになる。
 そんな雑誌で連載されているのが、これまた大変地に足がついた 『 おかめ日和 』 という作品だ。

 本作の主人公、亀田靖子(やすこ)さんは32歳。ダンナさまは鍼灸院を営む岳太郎さん(42)。おじいちゃん(90)、二人の男の子(4歳と3歳)との生活は、目が回りそうな忙しさ。なぜなら、手のかかる年齢の息子たちの世話に加えて、気むずかしいダンナさまの要望が、細かい上にめちゃくちゃに厳しいからだ。でも、いつもやすこさんはニコニコと幸せそうなのだ。

 主人公の夫である鍼灸師の「先生」は、古いタイプの男で家事などまったく手伝う気もナシ。気に入らないことがあると容赦なく奥さんを高圧的にどなりつけるダンナさんに、周囲はやすこさんをしきりと気の毒がる。でも、当のやすこさんは「ダンナもがまんしてると思うよ」と夫をかばい、若い頃は暗かった彼が、言いたいことが言えるよーになったのはいいことで、「安心していってるのかなあ ――と思うとなんだか・・・ 」「・・・ かわいい気がして」とすら言うのだ。
 うーん。そうか、やすこさん、ダンナさんに惚れてるんだなぁ。・・・ と、読者である私は思わず感心してしまう。
 たしかに、夫婦とか恋人とか、カップル間の感情の収支決算は、「惚れる」というファクターが入るから、傍からはなかなかわかりづらい。一見、やすこさんばかりが損をしているようでも、本人の中ではちゃんと帳尻が合ってるようなのだ。
 そして、作者・入江喜和の描線には、偏屈なダンナさんを「たしかに付き合いづらそうだけど、でも、やすこさんの気持ちもまあちょっとわかるかな」と思わせる魅力が、たしかにある。やや衰えが見え始めたけれど、それがかえっていい味になってる男前の40代。なかなか出せないこういう年代のニュアンスを、作者はうまく描いているのだ(・・・ まーそれでも、この偏屈なダンナさんとやっていくのは、かなり骨がおれる、と思わずにはいられませんが)。

 かつて、青年誌 『 モーニング 』 に連載された、同じ作者の 『 昭和の男 』 は、頑固な畳職人の頑固じいさんとその家族、そしてバレエダンサーくずれの若き父親との奇妙な交流を描いたお話だった。この、もとバレエダンサーのロクデナシ男・二ノ宮貴久の描写がすごかった。まったくダメな男なんだけど、見た目の美しさとはた迷惑なフェロモンのせいで、老いも若きもあらゆる女たちをメロメロにしてしまう。常識で考えたらどうしようもない奴なのに、「まぁ、こいつじゃしょうがない」と思わせる、どこか憎めない魅力に説得力を与えたのが、作者の描線の、あたたかみと色っぽさをあわせもつ部分だったのだ。
 昭和ヒトケタの下町の頑固オヤジのおっかなさと哀愁、そしてだらしないフェロモン男の魅力。対極にあるようなその両方を、説得力をもって描ける手腕に唸ったのだが、一見ほんわかした画風だけれど、かなり幅のある人物を、ニュアンスをもって描き分ける力量がある作家なのだ。
 その力量は 『 おかめ日和 』 でもいかんなく発揮されている。たとえば、生まれてきた三番目の赤ちゃんの愛らしさ。一人で娘の子守りをすることになった先生(ダンナ)が、とまどいながらニッコリ笑いかけて大泣きされてしまうシーンの、赤ちゃんの表情の変化のうまさには、おかしいやら可愛いやらでなんともいえない気分になってしまった。

 そして、本作を読んでいて感心してしまったのは、やすこさんがほとんど「怒鳴らないお母さん」であることだ。こういうところに人間の本性が出るんだろうな、と思うと恥ずかしいけれど、私が同じ状況に立たされたら、まちがいなく怒鳴りまくってしまうだろうなー、と思うことがいっぱいある。夫の横暴、次から次へと押し寄せる家事の忙しさ、子どもの失敗。でも、そのどれにもやすこさんはいつも笑顔。自分のマイナスの感情をぶつけることがない、優しくておおらかなお母さんなのだ。

 多分、私から見れば「無私の人」にすら見えるやすこさんは、我慢してそうしてるわけじゃなくて、大切な家族の世話が「自分の一番したいこと」だから、それをしている人なのだろう。やすこさんには、「やらされてる」とか「犠牲になってる」なんて発想がみじんもない。だから、大変なことも多いやすこさんの日常だけど、読んでいてとても温かい気持ちになれるのだと思うのだ。

 一方、やすこさんは、いつも家族のことで頭がいっぱいで、自分のことは二の次三の次。身なりにもいっさいかまわないけれど、でも、太めの体をちょっと気にしている。街を歩いてもテレビをつけてもネットをのぞいても、とにかく「痩せているのが美しい」「結婚しても子どもがいても、女性は若くキレイでいなくちゃ」という価値観が横行しているように感じる現代だけど、やすこさんの息子は「おかーしゃんはふとってるほーがい〜〜い」と言うし、太っているやすこさんは、鍼灸院の患者さんを抱えられるくらい力持ちで、そのことで助かる人がいるのだった。
 そんなドラマを垣間見せてくれる、「太めの子持ちお母さん」をヒロインにしたお話が掲載されるのが、地に足がついた『 BE LOVE 』の底力だなぁ、としみじみと思うのだ。

 普通に考えたらラクなメニューのはずのカレーも、それぞれが味にこだわる亀田家では、みんなの希望にあわせて(しかも、「子どもの好き嫌いをいちいち聞くなっ!! 」というダンナさんの目を盗みつつ)作ると、「けっきょく人の数だけカレーのなべが〜〜〜〜」という事態になってしまう。
 それでも、カレーを食べるときの(食べることに集中した)静けさに「この静けさが男所帯の “ おいしー ” かなぁ? 」と、皆の喜びで苦労がふっとぶやすこさんなのだった。

 一見ほんわかした画風で、なんてことない、でもいろんなドラマがある雑多な日常を描く本作。それは、まるでやすこさんの作るカレーみたいに味わい深い。亀田家のカレーは、仕上げは市販のルーで、ぱっと見た感じはすごそうには見えないけれど、実は鶏ガラと野菜でしっかりダシをとり、それぞれの好みの具を入れた、世界に一つしかないとびきり贅沢なスペシャルカレーだ。

 もし私がやすこさんの友達だったら、作中に登場する面倒見のいいママ友・宮崎さんのように、やすこさんに対して「なんで専業主婦だからって、そこまでダンナの言いなりなんなきゃいけないの!? 」と叫んでしまうと思う。でも、それでも日々楽しそうなやすこさんの生活は、「大変」と「幸せ」でできていて、それは人が生きていく生活そのもののようでもある。理屈で言ったら割にあわないようなことを人はいっぱいやってしまうけど、でもそれは、そう悪くないし、ひょっとしたらその中に、とても大事なことがあるのかもしれない。本作は、なんだか、そんなふうに感じさせてくれる作品なのだ。(川原和子)

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