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おすすめマンガ時評『此れ読まずにナニを読む?』

第24回 『JIN -仁- 』 村上もとか (集英社)

JIN -仁-  表紙

(C) 村上もとか/集英社

 一読、思い切りのいいエンターテインメントだと思った。いい意味で「大人の少年マンガ」だとも思った。現代の若い脳外科医が幕末の日本にタイムスリップし、自分が持つ医学知識で人々の命を救うというもの。医者モノ、幕末モノ、SFの要素が入っている。要素こそ欲張りな感じがするが、肩のこらない、読後感のさわやかな作品である。大ベテランである作者の、熟達の技と言ってもいいだろう。いかにも斬新な手つきに見せたり、いかにも手の込んだふうに見せるのではなく、さりげなく読ませる語り口が心地よい。

 主人公・南方仁は、ある不可解な患者の脳手術後、突然1862年の日本にタイムスリップする。いきなり武士の斬り合いの現場に出くわし、怪我人の開頭手術を行う。それからの彼は現代の常識からみれば苛烈な環境に暮す人々の病や怪我を前に、医師としての使命を躊躇なく果たしていく。現代の医学知識に基づく治療の実績と、ほとんど無私ともいえる活動と誠実な性格で、次第に周囲の人々の信頼を勝ち得ていくのである。
 ストーリー展開はたいへんスピーディで、まさに躊躇がない。次々と偶発的な事件や治療依頼があり、仁はそれに対処していく。イベントの発生と解決が繰り返されるという構造は、いかにもゲーム的だ。とはいえ、誤解のないように言っておくと、主人公は決してスーパーマンではない。限られた条件のなか、患者を助けることができず、手をだすこともままならないことが多い。その意味では、地に足がついている。だが、坂本竜馬や西郷隆盛、佐久間象山、沖田総司など、著名な―言い換えれば、すでにキャラ化した ― 歴史上の有名人が続々と登場するあたり、「スーパーロボット大戦」ならぬ「スーパー幕末大戦」的な豪華さで、読むたのしさを増してくれる。「ゲーム的」というのは批判ではない。むしろベテランである作者の感性の「若さ」に感じ入るところだ。

 さて、仁が医師としての技能を発揮することだけでなく、必要とする薬品や道具を幕末の世でどうにか調達する過程の面白さについて語っておきたい。最初は、焼け火箸を電気メスの代わりにするなど、ありあわせの道具を工夫して使っていたものが、手術用のゴム手袋やカテーテル、注射針などを職人に作らせるようになるのだ。その最大のものが、ペニシリン製造だ。おいおい、そりゃ無茶ってもんだろ、とツッコミたくなるところだが、この、あっけらかんとした嘘を地に足のついた描写で描ききってしまうところこそ、本作の白眉だと思う。個人的には、こちらのほうがぐっと来る。たとえばペニシリンを青カビから抽出するのに、水に溶けやすい物質と油に溶けやすい物質の二層分離、和紙を用いたクロマトグラフィー分離といったシンプルな方法を組み合わせて対処する。工業的製法からすればおそろしく迂遠だけれど、理にはかなっている。
 単行本にクレジットされているとおり、専門の医師だけでなく、医学史の研究者も本作の監修にはついている。大きな嘘や荒唐無稽な展開を緻密な考証が支えているのだ。また、いまの私たちから見れば驚くほどの江戸職人たちの卓越した技術や舶来の物品をすぐさま取り入れる気風が背景にはある。ゴムや麻酔用エーテルも、当時の日本には存在したのだという。つまり、仁の工夫や対処を通して、幕末の世相や科学技術の水準を知るという知的好奇心を満たすつくりにもなっている。逆に、シンプルな構造でぐいぐい進む展開が、こうした知識を自然に読ませてくれるともいえるだろう。と同時に、いまの日常では既知の物品(微妙にネタバレになるので具体的には書かずにおくが、医療器具や薬品とは限らない)を手作りしていく工夫と、その過程を見るわくわくした感じがある。
 たとえば、「わたくしが丹精こめたペニシリン」なんてセリフ。ペニシリン製造の責任者となった蘭方医のセリフだが、一読して呵呵大笑したあと、実に味わい深いセリフだと思った。ペニシリン製造のくだりで何がよかったかといえば、ペニシリンカビを大量に培養するのに、銚子から醤油の麹職人にあたらせているという設定である。ここで麹職人か。この選択はいいなあと思う。職人仕事がドゥ・イット・ユアセルフの延長にあると思えるあたりがいい。さらに踏み込んでいえば、現代の工業的な生産のなかで見えにくくなっている人々の営みを感じさせる効果もあるだろう。

 仁の行動や、それに従うストーリー展開は、ともすればご都合主義的な「きれいごと」に見えるかもしれない。あるいは、あまりに向日的で、陰がなく、薄っぺらなものと思う向きもいるかもしれない。だがここで語られているのは、自身の持つ能力を使って、できる限りのことを為すという営為そのものの寓話だ。当たり前といえば当たり前の、だからこそ言葉にした途端に「きれいごと」と化してしまうような種類のものを語るものだ。そう、私たちは何度でも「きれいごと」をそのまま描けることも、マンガが持つ「ちから」だということを思い出さなければならない。それは「絵空事」だからこそ持ちうるものなのだ。

 最後に、苦言をひとつ。良質なエンターテインメントである本作だが、いわゆるマンガ読みたちの話題になっているかといえば、もうひとつなっていない。実はぼく自身、恥ずかしながらスルーしてきた。理由は、表紙のデザインだ。こう申し上げるのはいささか恐縮だが、どうにもダサい。内容のよさを殺してしまっている。現在、ほとんどの書店ではコミックス単行本はビニールパックされ、中身を確かめて買うことができない。その分、表紙だけを見ての「ジャケ買い」が重要な契機となる。本作だけでなく、このレーベルの単行本を見渡すと、デザインがおざなりなように見える。とても勿体ないことだと思う。(伊藤剛)

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