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おすすめマンガ時評『此れ読まずにナニを読む?』

第18回 『フラワー・オブ・ライフ』 よしながふみ (新書館)

フラワー・オブ・ライフ 表紙

(C) よしながふみ/新書館

 「平凡で最高な高校生ライフ」。
 これは『フラワー・オブ・ライフ』の4巻のオビにある言葉だ。そう、本作は、平凡な高校生達の生活を描いたお話。ただ、平凡と言いつつよくよく見れば、ちょっとだけ特殊な事情を背負っていたり、やや個性的だったりはするけれど、そんなメンバーたちの織りなす、言ってみればなんてことない日々だ。それなのに、読み進めるうちにときに爆笑、ときにホロリとさせられてしまうのだ。

 一ヵ月遅れの新入生、花園春太郎。天真爛漫で直情型の彼は、いきなり自己紹介で「俺 白血病でした!」と明るく自己紹介。ヘビーな告白に固まるクラスメートたちだが、臆することない春太郎は、おっとり・ふっくらした三国翔太と仲良くなり、やがて三国とともにマンガを描くことに熱中し始める。
 隠し事が嫌いでストレートな春太郎は、あるとき皆の前で翔太をかばったつもりが、その目立つふるまいを逆に翔太に拒絶され、困惑し落ち込む。そんな春太郎に対して、担任の斉藤滋(通称シゲ)は、こう言う。
「あんたの思いやりは幼稚園児並なのよ」
「自分にとっては平気な事でも 他人にとっては耐えがたい事になるって時もいっぱいあんの世の中には」
それでも間違ったことは言ってない、と言い張る春太郎に、シゲはずばりと言う。
 自己紹介で自分が白血病だった、と言ったときから、春太郎はヘビーな過去の分、みんなより強者の立場に立ったのだ、と。
 自分がどういうつもりであれ、
「自分の言った事で 相手が多少気を遣うだろうなくらいの想像もできなかったとしたら あんたは馬鹿で子供で無神経だわ」
と。
 本当のこと、正しいことを言ってなにが悪い? と言う春太郎に、それは相手のことを考えてない行動だ、といさめるシゲ。
 あ、シゲは、ちゃんとした大人だなぁ。「大人」のシゲが、「子供」の春太郎を、その行動の、なにがどう間違ってたかを、きちんと説明して叱っている。育てようとしている。
 と、このエピソードを読んだとき、私は思った。「(子供)だからできる事もあるけどね」とも言えるシゲは、いい先生だなあ、とも思った。

 ところが、その「大人」のシゲ(一見オカマにしか見えないが実は女性)は、同僚の教師と不倫中。さらに、苦しい葛藤を経たあげく、よりによって一番マズい相手と恋愛関係になってしまう。
 また、春太郎と翔太のクラスメイトで、我が道を行く傍若無人なオタクの真島は、その存在感で級友達に恐れられ敬遠されている。が、あるとき隣のクラスの武田さんの「マンガが上手い」という意外な才能に気づくのだが、武田さんの才能をより「イマふう」に延ばそうとした結果、気がついたらなんだか大変なことに・・・という顛末には、思わず大笑いしてしまった。
 そう、本作の登場人物はたいてい、カンペキではなくて長所と短所を両方もっている。それはときに「うーん、こういう人がまわりにいたらちょっとなぁ・・・」と思うほどのアクの強さだったりするのだが、しかし、それが意外な展開になったり、あるいは、本人にはそんなつもりはさらさらなくても、ある「救い」へとつながったりする。努力して悪いところを直す、というのもとても大事なことだけれど、一方で、一見欠点にしか思えない部分が、他の人を意外なところで救ったりする、という展開は、「あ、そうだよね、イヤだと思うことにも、なにか意味があるのかもしれない」と、ものの見方をひとつ増やしてくれる気がする。そして、そんなところに、作者のものごとを見る目の暖かさを感じるのだ。

 ところで、少女マンガ大好きな私でも、ある種の少女マンガを読んでると、
「うーん、この主人公たちは、恋愛のことばっかり考えてるけど、宿題とかテスト勉強とかやらないのかなぁ」
「これで大丈夫?」
と思うことがある。あまりに恋愛のことだけ描かれたマンガを読むと、「友人との人間関係とか部活とか、読んだ本にカンドーしたとか、そして勉強とか、学校のなかで生きてるときって、恋愛のほかにも考えることがいっぱいあったような気がするけどなぁ」と思ってしまうのだった。
 だが、本作の登場人物は、テスト前にはちゃんと(焦って)勉強するし、いろんな(恋愛以外の)ことを悩んだりもする。

 たとえば、クラスのしっかり者の山根さんと、読書という趣味で結ばれている、ややルーズな坂井さんのエピソード。山根さんに借りた本のページをちょっと折り曲げてしまい、それを見た温厚な山根さんの表情の変化から山根さんの怒りを感じた坂井さんは、大事な友達に嫌われたと思い、「朝になったら息が止まってたらいいのに」とまで思いつめる。
 くだらない悩み、ささいな諍い。それが本当にとるにたらない小さな事であることは、坂井さん本人もわかっている。それでもなお、それは死にたくなるくらい切実で、そして仲直りで天にも昇る気持ちになるのもホントなのだ。そんな顛末をていねいに、説得力をもって描いてあるから、本作は「平凡」なスクールライフを描いてるけど、とても面白いのだろう。

 この作品に登場する人たちは、たとえば生徒たちはテスト前にはお勉強もするし礼儀もわきまえ思いやりもある、基本的には気のいい人たちばかりだ。そんなメンバーの集うクラスは一見楽園のようですらある。

 でも、そこに生きる人々も、ある厳しいルールからは逃れられない。それは、時間は、誰にも等しく、前に進むしかない性質をもっているということだ。
 たとえば、なにかを一度「聞いてしまった」ら、もう「聞いてなかったとき」には戻れないこと。「聞かなかったフリ」はできても、「聞かなかったとき」には戻れない。訂正はできても、なかったことにはできない。その、本質的な不条理。だからこそ、大人は、発言するときには言葉を選び、ときになにかをそっと胸にしまって言わずにやりすごし、やさしい嘘を口にすることすらある。
 主人公の春太郎は、そのことを身をもって知り、2年生になる物語のラストでは、スタートのときとは少し違う男の子になる。彼は、成長したのだ。
 きっと春太郎が知ったのは、こんなことだ。
 自分を守ってくれる大人(たとえば親、たとえば教師)が、完全ではなくて、弱さやズルさも抱えた限界のある存在であるということ。自分はもう、守られるだけの無力な子供でいる時期を過ぎつつあること。そして、自分が自分であることの、痛いほどの幸運と不運に、ただ向かい合い、受け入れて生きていくこと。その苦さと、そして、「でもそれは、悪いことばっかじゃないよね」という、悲しみをふまえた決意のような明るさ。それをふまえて、大切な友達に自分ができることを考えること。

 ・・・なんだか私が書くとやけに暑苦しいけれど、名手・よしながふみは、そんなたくさんのことを、一見サラサラと、さわやかに描いて見せてくれる。そんな本作のラストには、日常への立ち向かい方に関する、とても大事なものを感じるのだ。(川原和子)

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