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おすすめマンガ時評『此れ読まずにナニを読む?』

第12回 『おおきく振りかぶって』 ひぐちアサ (講談社)

おおきく振りかぶって 表紙

(C) ひぐちアサ/講談社

 単行本のオビに「野球を知らなくても夢中になれる!」というあおり文句がある本作。その言葉に偽りなく、野球のルールもろくに知らない私も、すっかりひきこまれて読んでしまった。でも、どうしてこんなに「面白い」のだろう?
 舞台は、公立・西浦高校の新設の野球部。新設だから、メンバーは1年生だけ。そして、監督はなんと、若い女性だ。これだけでも前途多難なかんじの状況だが、とりわけ、ピッチャー・三橋廉の性格が特徴的だ。オドオドして弱気で、まわりをイラつかせるほど極端に卑屈。スポーツマンガの主人公としてはかなり珍しい性格といえる。だが、実は三橋には投手としての資質と力があり、それを見抜くキャッチャー・阿部と、監督・百枝(通称モモカン)、そして個性的だけど気のいいメンバーたちとの出会いから、物語は始まる。
 『おおきく振りかぶって』では、練習シーンもていねいに描かれるが、野球部責任教師の志賀とモモカンの指導はきわめて科学的・論理的だ。何のための練習なのか目的をきちんと説明し、ときに選手に自主的に「ここでどうするべきか」を考えさせる訓練も入れつつ、「練習が楽しくなくなったらダイナシ」と遊び要素もまぜたりする。「はやくグランド行きてーな」と選手に言わしめるような「キツいけど楽しい」と感じられる練習を積み重ねる描写があるから、選手の実力がついていくことに、自然な説得力があるのだ。また、試合で最大限に能力を出すための練習として「手をつないで瞑想」をしたり、といった、こころと体が密接に連動していることを重視したメンタルトレーニングがしばしば登場する。その前提があるせいか、三橋の「異様さ」も、切実さをもって迫ってくる。
 中学時代の暗い思い出から、三橋はつねに「嫌われるのでは」とビクビクしている。そのため、しょっちゅうチームメイトの言動を、自分への非難では、と「読み間違える」のだ。そのたびに「そういう意味じゃねえよ」とコミュニケーションのズレを訂正するさま(特に、キャッチャーの阿部とのコミュニケーションのズレっぷり)は、読んでいて笑ってしまうけれど、同時にちょっと痛ましい(三橋のモノローグには、「自分の状態」がほとんど出てこないほど、常に、「まわりが自分をどう思ってるか」に脅えているのだ)。
 そんな三橋を高圧的なほどに強力なリードでひっぱるキャッチャーの阿部は、三橋のかげながらのすさまじい努力とその賜物である抜群のコントロールに強く心惹かれる反面、あまりの三橋の弱気さや挙動不審さに苛立ちを隠せない。だが、モモカンの指導やチームメイトのフォローのもと、通じたり通じなかったりのコミュニケーションを重ねながら、またチームメイトとのやりとりのなかで、三橋は徐々に変わっていく。それは関係からはじきだされ、低い評価を受け続けたことに痛めつけられた三橋が回復していく物語でもあり、さらには、自分が誰かを「支えることができる」ことに気づいていく物語でもある。連載のなかでは現在、三橋と阿部というバッテリーにひそむ危うさが露呈する形でピンチに直面しているのだが、一体どう乗り切るのか、目が離せない。
 ところで、最新9巻には、応援団長の浜田が、無名校である自分たちの野球部がもっと勝ち進んで取材が来たら、記事に写真が出るのは(女性監督である)モモカンかも、と言い出すが、その場にいた野球部メンバーはすーっと話をそらしてしまう、というシーンがある。それは多分、「モモカンが女性監督だからといって、興味本位の特別扱いをされるのはイヤだな」という、皆の暗黙の意思表示だ、ということに、話題を持ち出した浜田自身が気づいて反省するのだ。ほんの短い場面だが、多くを語らぬ男子たちのモモカンへの信頼とぶっきらぼうなデリカシーを感じて、なんだかじーんときてしまったのだった。
 ひぐちアサの描線は、ざっくりしてて、でもちょっぴり不安定でそれでいて繊細で、だからこそ目が離せない魅力がある。それはなんだか、思春期そのものの特徴と似ている。そして、対戦相手を含め、いろんな人物が登場するこの作品自体がたぶん、新鮮でありながらも王道、という、三橋の投げる球のように「くせ球なのにまっすぐ」な構造なのだ。
 白状すると、運動自体も、運動「部」の「先輩に絶対服従」的ノリも大の苦手な私だが、抑圧が少なく(全員一年生!)、「伸びたい!」という気持ちのぶつかりあいとしての競い合いがある『おお振り』ワールドは、なんだかとても気持ちがいい。熱意と能力をあわせもつ優れた指導者がいて、実力を認めて励ましあえる仲間がいる。そんなチームのメンバーになって、持ち場を担って何かをなしとげるって、ひょっとして、すごく「楽しい」ことなのかも。・・・と、読んでる間は運動部嫌いの私に思わせてしまう。『おお振り』は、そんな力のある作品なのである。(川原和子)

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