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おすすめマンガ時評『此れ読まずにナニを読む?』

第10回 『レコスケくん』 本秀康 (ミュージック・マガジン)

レコスケくん 表紙

(C) 本秀康/ミュージック・マガジン

 メジャーな青年マンガの世界では、専門職を題材にしたものが受けるという。それが昂じて、各誌の編集者はまだ手がついていない、魅力的な職業ネタを探すのに躍起になっているともいわれる。なんとなく「新しい知識を知って得した」という気持ちに読者がなってくれることがヒットを支えている。ようは、薀蓄である。われわれはドラマを楽しみながら、ワインの産地による違いや、離婚訴訟のトラブルの対処法や、心臓手術の術式といったことを知るのである。とはいっても、その多くは現実の人生にはまず役に立たない。つまり、役に立たないからこそ、純粋なたのしみとしてある。
 『レコスケくん』は、レコードマニアマンガだ。語られる薀蓄の情報量だけでいえば、マンガ史上で一番では? と思わせる密度だ。とりわけジョージ・ハリスンに関しては、量・質ともに尋常ではない語りが繰り広げられる。主な掲載誌が「レコード・コレクターズ」という、ロックファンとしては「上がり」的な位置の専門誌であったからこそ、可能な仕事だろう。そもそも今回の「コンプリート・エディション」の編集姿勢からして、2001年に出版され絶版となった旧版に、未収録だった番外編や、オリジナル原稿、描き下ろしなどを収録、レコードコレクターを意識したアイテムとしての充実をはかっている。それだけでなく、透明プラスチック・ケース封入、円形のシールのついたシュリンクパックなど、造本もCDボックスセットを模している。一方、このマンガで語られているビートルズやローリング・ストーンズ周辺のアイテムは、ただコレクターの欲望の対象になっているだけではなく、ロック史的な「教養」として扱われるものだ。ロックファンが年齢を重ね、中高年にさしかかって以降も楽しめる「よいご趣味」の対象と位置づけられなくもない。
 と、書いてみたところで(同時に自身もまた中年になってしまっていることをあらためて自覚しながら)、そういった「よいご趣味」と、『レコスケくん』に漂っている強烈にトホホ感とのギャップに、あらためて出くわした。このマンガのどこが「よいご趣味」だよ、と。言いかえれば、ほとんどすべての「コレクション」というものが抱える「よいご趣味」と「どうしようもなさ」の拮抗が、さらに情けない形で描かれているのが、このマンガなのだと気づいたのだ。
 その拮抗をおかしみに昇華するあたりが、作者・本秀康のクールなギャグセンスが光るところなのだろう。そもそも、このマンガの薀蓄が、はたして読んで「なんとなく得した」感じがするかどうかといえば、まずそんなことはない。にも関わらず、しかし読んでしっかり面白いのは、まさにこの作者の才に由来するものだろう。
 などと書いている私にしても、それなりに洋楽は聴いていて、たぶんマニアだと思われているのだが(マニア基準でいえば、ぜんぜん大したことはないけれど)、『レコスケくん』で語られるジャンルについては、ほとんど知らない。正確には、ロック史上の「教養」として名前は知っているが、自分のたのしみとしては聴いていない。ニューウェーヴ以降、セカンド・サマー・オヴ・ラヴ以前、つまりロック史的な教養と扱われる手前のもののことしか知らないのだ。つまり私自身は、レコスケたちのように、闊達にレコの薀蓄を語り、勝手に泣いたりあれこれ考えすぎたりして、しかもそれがギャグになるような場所にはいない。『レコスケ』のギャグが成立するのは、題材が洋楽好きの間ではしっかり「教養」に属しているにも関わらず、一般社会的な意味ではまだ「教養」に含まれていないからだ。隠さずにはっきり言いましょう。私はロック史的な教養のなさを内心で恥じている。しかし、いまさらそっちに関心を向けると、人生の時間がさすがに足りないので勉強をしないようにしている。もとがコレクター体質の私にとっては「集めません、調べません、勉強しません」という私的な戒めの対象になっている。『レコスケくん』は、そんな私をこっそりと誘惑する。だいいち、楽しそうじゃないか。でも、集めません、調べません、勉強しません。クラフトワークやジョイ・ディヴィジョンやSPKの海賊盤を集めるのだって、とうの昔に断念して引き返してるのだから。(伊藤剛)

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