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おすすめマンガ時評『此れ読まずにナニを読む?』

第8回 『茶ノ風』 鳥維そうし (デジマ)

茶ノ風 表紙

(C) 鳥維そうし/(株) デジマ

 数年前、ちょっとだけお茶を習っていたことがある。自分でも嫌になるくらいの超不器用者である私にとっては敷居の高い習い事だったが、「まあ常識として、飲み方の型くらい、ちょっと知っておけば便利かな」という程度の動機だった。不心得にも半年くらい通ったらやめよう、と思っていたのに、結局数年間通ってしまった理由は、恥ずかしながら、先生が選んで出して下さるお菓子が毎回とても美味しかったこと。そして、先生がとてもステキな方だったことが大きい。と言っても先生は、私の母と同年輩の、ふだんはお勤めもされている普通の主婦。教室は、先生のご自宅の茶室で、これまた一見ごく普通の民家である。そこで教わるのは、袱紗(ふくさ)という布のさばき方だの立ち方座り方だの茶巾のたたみ方だのいやもう、本当にたくさんの、私の最も苦手とする「体で覚える」きまりごとだ。
 しかし、出していただくお菓子は美味しいだけでなく、毎回季節の趣向がこめられていて、慌ただしく過ごしてしまいがちな日々の中、「ああ、もうそんな季節なんだな」と気づかせてくれた。先生のご自宅は、生活空間でありながらいつもこざっぱりとしていて、庭には折々のお茶花が咲き、その花が、お茶室や、ときにはそれ以外の場所までを彩っていた。美しいお道具も、値段云々より、先生が好きで集めておられることが言葉の端々に感じられ、「お茶室」という非日常空間で味わう緊張感の気持ちよさに、すっかり魅せられてしまったのだった。その後、忙しくなってお稽古に通いきれなくなり中断してしまったが、一見古くさいお稽古事にすぎない茶道の奥深い魅力には、身をもって圧倒された経験がある。
 そんな私にとって最近、気になるお茶のマンガがある。無料配布誌『コミック・ガンボ』(デジマ)に断続的に連載されている『茶ノ風』だ。
 広告代理店に勤める志村徳武は、日本で生まれ育ったのに、外見が西洋人そのもの(実際はクォーター)なために、「徳武」と言う名をもじって「トム」と呼ばれ、初対面の人には「日本語できるんですね」と言われ続けている。「日本人として認めてもらえる日なんて来ないのかな」と悩んでいるトムは、偶然ぶつかった元気な少女が縁で、お茶の世界に足を踏み入れる。トムの祖父を思わせる先生は、トムの見た目にまったくふれずにお茶をすすめてくれ、強引なイマドキのギャルに見えた女の子が、凛としながらもやわらかい所作でたててくれたお茶は、意外なほど美味しい。「どう見られたって あなた自身に変わりはないんじゃないですか?」と静かに言う先生に、「僕ここに通いたいです!」と思わず入門を希望するトム。
 現代的で硬質なタッチの線で描かれる画面は、一見、お茶という古風な題材とそぐわない印象を受ける。だが、その「そぐわなさ」は、「ガイジン扱いされ続けることに居心地悪さを感じ」ている主人公のトムの違和感とシンクロするのだろうか、不思議と作品世界にひきこまれてしまうのだ。
 『日々是好日』(森下典子著・飛鳥新社)という、お茶に関する体験を綴った本がある。「ああ、本当にそうだ!」といちいち共感しながら読んだのだが、私なりにまとめさせてもらうと、それはこんな内容だった。学校で教わったのとはまったく違うやり方で、お茶は生きることの本質を教えてくれる。無意味に思えるたくさんのきまりごとを体で覚えるうちに、フッと、自分が空っぽになる瞬間がある。それは多分、まぎれもない自由の感覚だ。がんじがらめのきまりごとの中で感じる自由。それは、自由に到達するための形式、という不思議な逆説だ。『茶ノ風』のなかで、窮屈なたくさんの約束事に縛られているはずの茶道の先生が、トムに「日本人なの?」なんてことは訊かず、どこの国の人であろうが、お茶を「美味しいと思うならそれで良い」と言うことと、それは通底している。
 8月21日号から始まった連載は、まだ6回分しか掲載されていない。だが、トムがお茶の世界にふれて、少しずつ変わっていく様子が丁寧に描かれていて、これからの展開が楽しみだ。作者自身も4分の1スペインの血が入ったクォーターで、畳や障子のある家で暮らしたことがないそうだが、そんな作者がこれからどんな風にお茶の世界を描いていくのだろうか。単行本にはまだまとまっていないが、コミック・ガンボのHP(http://gumbo.jp/p/)で第1話が読めるので、ぜひ端正な絵柄を味わってみて欲しい。
 それにしても、こんな理屈(?)をえんえんと書きながら、数年間お稽古に通ったにもかかわらずお点前の腕がとてつもなくヘボな自分のことを顧みると、そのことこそが自分の本質をあらわにしているようで、なんとなくモジモジした気持ちになってしまうのであった……。(川原和子)

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