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本と本屋と

第24回  本屋はとぼける

 レジに入っていたら、知っている人がお会計にやってきた。
 「いらっしゃいませ」
 商品を受けとり、バーコードを読む。本は、再入荷したばかりの「世界」5月号(東日本大震災・原発災害特別編集 生きよう!)と、『沖縄戦 第二次世界大戦最後の戦い』(出版舎Mugen)。一度会っただけの人だけれど、その人らしい選書に思えた。
 相手から何か話しかけてくれるかと思ったのに、黙って財布を探っている。私のことを忘れたのか、それともここでは話したくないのか。私も店員らしく、マニュアル用語だけで接客をした。
 月末、雨の夕方に桜坂の居酒屋に行くと、その人が先にビールを飲んでいた。
 「この前お店に行ったよ」
 といってくださったので、
 「レジを打ったのは私ですよ」
 と確かめると、きょとんとして、
 「いや、会計は息子に頼んだよ」
 といわれる。なんと。どんなに似ているとしても、父親と息子を見まちがうことがあるだろうか。信じられない。しかしそんな嘘をつくような人であるはずもなく、腑に落ちないままビールをつがれた。話しかけなくて、よかった。

 本屋では、特にレジでは、知人が来てもむやみに声をかけられない。少なくとも、棚の前で立ち読みしているところを後ろから呼びかけるのはルール違反だと思う。
 本というのはその辺にたくさんあるわりにプライベートな商品で、「この本を持っている」「その本が欲しい」といつでもどこでも堂々といえるとは限らない。
 私も中学生のころは本棚を見られたくなくて、友だちを家に呼ぶことができなかった。
 店の従業員が休憩中や就業後に本を買いに来るときは、たいてい照れ笑いをしている。
 「へー、大杉栄なんて読むんだ。どうりで悪そうだわ」
 とか、レジで性格診断をされるようなものだ。
 
 お客さまから本の注文を受け、入荷したら電話でご連絡して取りに来ていただくのを「客注」という。このとき使う伝票には、「伝言 可/不可」「留守電 可/不可」「書名連絡 可/不可」という項目がある。
 本人には隠していた病名が、本の入荷を伝えたことでばれてしまったという深刻なクレームが過去にあった。家族には内緒で高額な本を買う人もいるだろう。資格や転職に関する本は、職場には知られたくないかもしれない。
 趣味嗜好だけでなく、悩みや人生設計まで明かすことになるのだから、慎重にならざるを得ない。

 個人商店であれば、店員が常連のお客さまを覚えるのは自然である。お互いに覚悟もできている。
 70人も働いているような大型店になると、こちらがお客さまを覚えても、相手が自分を認知しているのかわからない。いつもたくさん買ってくださる方がレジに見えたら、
 「いつもありがとうございます」
 と言ってもいいのか。ぎょっとされないだろうか。大量の本、多数の店員にまぎれて買い物をしたいと思われているかもしれない。
 かと思えば、
 「何を買ったか忘れてしまうから、僕の買った本はそちらで把握しておいて」
 とおっしゃったお客さまもいらした。つまりはその方の膨大な蔵書のほとんどを当店で買ってくださっているということで、大変にありがたいが、なかなか難しい。

 沖縄は東京に比べて行動範囲が限られるせいか、店の外で顔見知りのお客さまとすれ違うことがある。いつも国際通りで会う人が何人かいる。あいさつすべきなのか素通りする方がいいのか、悩ましい。休憩から戻る途中、
 「この前は調べてくださってありがとうございました! 助かりました!」
 と後ろから声をかけてきた人は、こちらがぽかんとしているうちに追い抜いて行ってしまった。何の問い合わせだったのか、思い出せない。
 近所のライブハウスで常連の方に出くわしたときは、終わると同時に逃げ出してしまった。思いがけずこちらの趣味嗜好がばれてしまうのが、どうにも気まずかった。
 店の外では、とぼけてもらえればありがたい。

 あなたに気づいていますよ、と棚からメッセージを発することもある。
 那覇店が開店して半年くらい経ったころ、ある本の客注を受けた。どうして棚にないのだろうと確認したら、その出版社の本は店に1冊も入っていなかった。開店のときは、どこかで注文書を紛失していたり、何らかの理由で出庫してもらえなかったりして、ときどきこういうことが起こる。出版点数が15点強で、限られた著者の本しか出していない出版社だったので、半年もそのままになっていた。
 申し訳ない、とお客さまと出版社に詫びる気持ちで、客注以外の本も全部揃えた。そうしたら、1冊ずつ順番に売れていった。きっとあのお客さまが買ってくださったのだと思う。

 こんなにわかりやすくなくても、本屋の店員なら誰しもやっている。売上ランキングを手にして、上位より下位に目をやる。
 開店3年目にして、初めてこれが売れた。この本を買う人なら、あれも買ってくれるだろう。今すぐでないかもしれないから、なかなか売れなくてもじっと待とう。
 静かな思いこみの積み重ねで、棚はつくられている。古ぼけた本ばかり入っているように見えても、本屋がぼけているわけではない。



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