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本と本屋と

第19回 本屋を登る

 


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電子かたりべ
 銀座の伊東屋、渋谷のタワーレコード、池袋のキンカ堂。本屋なら、新宿の紀伊国屋書店の本店や東京駅の八重洲ブックセンター本店。みな、ひとつのビルが上から下までひとつの小売店になっている。
 開店したのは、文具の伊東屋本店は1960年、CDのタワーレコード渋谷店は1981年(95年に移転)、手芸用品のキンカ堂は1951年、紀伊国屋書店新宿本店は1927年(1964年に改築)、八重洲ブックセンター本店は1978年。
 比較的新しいタワーレコードを除くと、おそらくどの店もエスカレーターが完備されていない。途中までしかない。あとは階段かエレベーターを利用するわけだが、たとえばデパートのように、
「紳士服売場はパス」
とはいかなくて、せっかくだからどのフロアも少しずつ覗いてみたい。そうすると、ヒーヒーいいながら階段を上ることになる。
 八重洲ブックセンターは階段前に「脚を鍛えませう」「老化は脚から」「健脚は長寿のもと」などといったスローガンがあって、慰められるような、
「いいからエスカレーターを」
と言いたくなるような。

 東京堂書店の階段の踊り場には、新聞の書評や本の刊行案内が貼ってある。三省堂書店神保町本店のエスカレーターの脇には、店で開催したイベントのポスターや著者のサイン、写真が、文化祭のように賑やかに飾られている。古本屋なら階段にも本が積んである。売場のつなぎの場所も最大限に活用する。棚がなくてもそのままにしておけない。店に来た人を片時も休ませない。本屋って貪欲だ。だから、エレベーターじゃないほうが楽しいのだ。

 私が働いている本屋には、最上階までエスカレーターがある。ただ、幅が狭くてひとりずつしか乗れないし、気が引けて、なるべく裏の階段を使う。取置きの本をレジに下ろしたりFAXを送ったりするために、たいてい持ち場の4階と1階を行き来する。2往復くらいなら何でもないけれど、短時間で3往復を超えるとしんどくなってくる。
「今日はもう何回めだろう、エレベーターを待とうか」
と1階で立ち止まりかけると、私より10歳年上の上司がヒョイヒョイと階段で7階を目指していくので、
「弱気になるな」
と、後を追う。

 ビルの上から下まで、という本屋はごくごく一部だけで、ふつうはテナントのひとつとしてデパートのなかに入っている。ワンフロアの店と多層階の店、どちらがいいだろうか。

 だんぜんワンフロアだ、と以前は思っていた。本はジャンルで切り分けられるものではない。マルクスなら思想にも経済にも置きたい。そんなとき、無理して2ヶ所に置かなくても、人文と社会が隣り合っていれば気軽にお客さまをご案内できる。多層階だと、
「学習参考書はどこですか」
と聞かれて、
「8階です」
と答えたとき、どうしても相手が、
「まだそんなに上らなきゃいけないの!?」
という顔をしているように見えてしまう。

 私はいま、人文書といわれるジャンルを担当している。哲学歴史に宗教、教育心理と、大学の教養学部のようにお堅く見られ、ときに敬遠される。エスカレーターを上ってくる人たちもフロアの看板を見て、
「人文書? 何それ」
「哲学、思想、歴史・・・・・・やだー」
と笑いながら通りすぎていくし、最初からエレベーターで素通りする人もたくさんいる。フロアに降りてもらうためのハードルが高すぎるのだ。ワンフロアなら、やむを得ず通りがかって、
「あれ、こんな本が・・・・・・」
という出会いが絶対にあるのに。

 逆にいえば、ワンフロアだとあいだをすっ飛ばしようがない。動く歩道でもない限りは歩くしかなく、それはそれで大変だ。棚の行列のなかで迷子にもなる。自分は動かずにハンドルで棚を動かす、可動式書棚にすればいいのか。

 多層階でワンフロア1ジャンルだと、ひとつの店でありながら専門店の集まりのようになってくる。各フロアがそれぞれ個性的になり、意思の疎通がしにくい面もある。いま、床の真下で何のフェアをやっているのか、ぱっと答えられない。
 新刊が来たとき、
「『図説神聖ローマ帝国の宝冠』、八坂書房。神聖ローマ帝国だけで1冊になるのか。図版がきれいだな。ヨーロッパ史にしよう。9階の芸術書にも置いて欲しいな」
と思っても、階段を駆け上がるのが億劫であきらめてしまったりする。
 元気を出して上っていくと、そのたびに雰囲気の違いに驚く。9階は芸術書と洋書のフロアである。大きくて重そうな写真集がゆったりと並び、外国のお客さんがペーパーバックに読みふけっている。落語のCDだらけの棚や、薄い楽譜が詰まった棚もある。最上階なので、夕方は西日がすごい。置いている本の内容や装幀、お客さん、働いている人、何もかも違う。匂いや静けささえも。エスカレーターで通りすぎるだけでも、感じる。
 お客さんにも、できればエスカレーターでゆっくり上って、各フロアの空気になんとなく触れたり、脇に貼ってあるフェアやイベントのポスターを眺めたりしていただきたい。本屋を貪欲に楽しんでください。

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