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本と本屋と

第4回 くずれる本

 


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電子かたりべ
 新刊が入ってくると、台車に載せて運ぶ。同じ本を積みあげ、冊数の少ない本は適当に組みあわせて、がらがらと引いていく。ときどきなだれが起きる。ざざっとすべり落ちた本をあわてて拾いあつめ、書店員失格だ、と反省しつつ積みなおし、再び引いていくと、またくずれる。みたび拾って積む、そのそばからもうくずれている。これは、私も失格だけど、この本も失格だ。
 つるつるした紙は、光沢とか手触りとか、何らかの効果を狙って選ばれたのだろう。いや、単に汚れにくいからだともきいた。しかし、書店で働くものにとっては「すべりやすい」、ただそれだけである。しばしば憎らしくなる。本が、ひいては出版社が。「これを積む身にもなってください」と。

 開きやすい本というのもある。棚で表紙が見えるように重ねておく(=面陳)と、一番上の本の表紙があられもなく開いていく。反りかえった表紙は逆に曲げても戻らない。
 平積み(平台に積みあげること)や面陳になっているうちはよかったのに、棚にひとりでおさまったとたんに厄介者になるやつもいる。背の字が小さすぎて、あるいは色づかいが悪くて、読めない。背表紙に書名が書いてない(!)。平綴じでそもそも背表紙がない(!)。置かない方がいいのね、と別れを告げたこともある。
 少しは考えてよといらいらする。でも、いいか、しかたないか、とどこかで思っている。この子たちの本当の居場所はここじゃないから。

 出版社の人が発売前の本のカバーを持ってきて、「どうですか?」ときいてくれることがある。青空の写真がさわやかですね、とか内容のわりに地味ですね、とか好きなことを言う。売り場の担当として言っているだけで、買って自分の部屋に置くことは考えていない。本当は部屋の人、買ってくれる人に聞くべきことなのだけれど。自分の本棚であれば背表紙が読みづらくても見つかるだろうし、同じ本を何冊も積んですべらすこともない。

 入社してすぐに取次店(本の問屋)の見学に行って、同じ本が百冊も二百冊も積みあがっているのを見て、軽くショックを受けた。こんなに、いるんだ。大事にしていた本も実は自分だけの恋人ではなく、大勢から愛されるアイドルだったと気づかされた。それでも、買って部屋に帰れば唯一無二の一冊になる。

 そもそもすべりにくい本なんてない。部屋に乱雑に積みあげたままの本は、ときどきなだれを起こして主張する。「横になっているのは苦しい、縦にしてくれ」背を見せて立たせるなんて棚がないとできないし場所はとるし、あまりに贅沢だと思う。それでも本はそういうふうにできている。平積みや面陳は本来の置きかたではない。すべろうがくずれようが、それは書店が悪いのか。
 でも、売りたい。誰かに見つけてもらいたい。そのためにはやっぱり積みあげてお客さんに表紙を見せつつ、できるだけ傷をつけないようにする。だから表紙の色と同じくらいすべりやすさが気になる。はやく行き先が決まるといいねと思いながら、がらがらと引いていく。

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