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本と本屋と

第3回 出ない本

 


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電子かたりべ
 『ピープス氏の秘められた日記』(岩波新書)が面白いよ、ピープスの小市民ぶりが、と友人にきいてふうんと思っていたら、あるとき突然『サミュエル・ピープスの日記』(国文社)が入ってきて驚いた。それも1巻から9巻まで。
「イギリス史の棚に置きたくて」と上司は笑う。
「今年中に最後の巻が出るらしい」
 それなら完結記念フェアをやりたい。ピープスの笑みがずらりと並ぶのはこわい気もするけれど(表紙は全巻肖像画だから)。品切れだった新書も折よく復刊された。しかし年が明けても出る気配はなく、国文社に電話をすると、
「遅れています」
 そのまま3年たった。
 日記の訳者で新書の著者でもある臼田昭氏が90年に亡くなられたので、引き継ぎが大変なのではないかとも聞いた。どんなに時間がかかっても完結させて欲しい、と願うばかりである。

 出るよ、と言って出ない本はいくらでもある。それぞれに事情を想像しては同情する。

 これも3年前、出版社から電話がかかってきた。ご指名の店員はとうに店を辞めている。不審に思いつつ出ると、「ご予約の件で」といわれ、はっとした。破れてカーボンのこすれた受注伝票が浮かんだ。
 『ポリュビオス世界史』(龍渓書舎)の予約が入ったのは、私の入社前だった。受注ファイルの先頭にいつまでも綴じてあるのを幻のように見ていたのに、とうとう刊行されたのだ。出版社の人が覚えてくれていたことに驚いた。今年になって第2巻が出て、そのときも連絡してくださった。

 本のうしろの刊行案内を見ては電話をかけてくださる常連の方がいる。あるときどんなに検索してもデータが出てこず、出版社に問い合わせると、
「ああそれは結局出せなくて……もう出ないでしょう」
 とつれない返事だった。絶版なら古本屋をあたることもできるけれど、出ていないのではどうしようもない。

 共著書で最後のひとりがいつまでも書かないからホテルに缶詰にしたとか、その人の原稿はあきらめて出したとか、写真の版権が高すぎて企画を断念したとか、ほんとうに、1冊の本が出る過程というものは涙なしには聞けない。

 店で手にするのはどれも「出た本」だけれど、その陰にどれだけの「出なかった本」があるのか。さらには出たのに消えた本も、出なかったことにされた本(!)も無数にある。そう考えてあらためて棚を見ると、なにか怨霊にとりまかれている気がしてならない。いまここに並ぶ幸運なものへの羨望や、ついにかたちにならなかったものたちの嘆き。いつか思いが遂げられんことを願う。


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