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本屋になる

第5回 本を買う

 「これ、全部自分の本ですか?」
 ときどきお客さんに聞かれて、
 「そうですよ」
 と答えては、何か誤解されている気になる。自分の本といっても、読むためではなく売るために買った本だ。中にはもともと読むために買った本も混じっているけれど、それは自分の本を店の本にしたということだから、正確には「全部店の本」。自営業であることと古本屋であることとがごっちゃになっている。
 業者の市もお客さんからの買取も、売るために買うのに、ときに私情がまじる。
 「あ、読みたかった本だ」
 「売れなければ自分の本にすればいいじゃん」
 そんなことを考えて買っていたら商売にならない。でもこの前の業者の市(いち)で、とある古書店主が映画のDVDを一束落札し、
 「TSUTAYAで借りるより安い」
 とおっしゃったので、まあそんな感じでもいいのか、と少し気が抜けた。

 「自分の本」として新刊を買うときは、どうやって買うか悩む。
 去年までは新刊書店で働いていたので、ほぼ自分の勤めている店で買っていた。休憩時間にすぐ買えるし、店の売上に少しでも貢献しようという気持ちもあり、何より社員割引があった。
 今は近くの書店をまわって探す。何冊も入荷する本ではないから新刊コーナーの下の段にそっと差されているんじゃないかとか、ノンフィクションだけど小説の棚に入っているかもしれないとか、いろいろ考えながら。
 見つからなければネットで買う。梱包が簡単で品揃えが豊富なところを、あちこち試している。
 どうして最初からネットで買わないかというと、書店を応援したいとかいうことではなくて、ただ店で買い物がしたいからだ。レジで図書カードを使ったりカバーを断ったりしてみたい。ふだんは売り手だから、たまには買い手として買い物を楽しみたい。

 自分の店にいると、人が「買う」と決めるスイッチはどこにあるのだろうと不思議になる。
 通りがかった人が路上の平台にある本をぱっと取り、開きもせず値段も確かめずに、
「ください」
 と差し出してくる。どうして買うことにしたのですか? と聞きたい。
 逆に、わあ本屋さんだ、ねえねえこの本知ってる? なつかしいね欲しい本がいっぱいで困るねなどと十数分にわたって盛り上がった末に、そのまま出て行く人たちもいる。どこでスイッチが切れたのか。
 買おうとする夫を必死に止める妻も、ときどき見る。
「これ以上いらないでしょ。やめてちょうだい」
「アマゾンで買えばいいわよ」
 叫ぶように手を払い、夫を追いたてていく。きっと家に本があふれてうんざりしているのだろう。旅行に来てまで本は見たくないという気持ちはわかる。でも、そんなに大きな声で言わなくてもね。
 買う気満々な方もいらっしゃる。
「ブログで紹介されていたあの本と、あの本」
というふうに最初から買うものを決めている。もちろんその本が欲しいのだろうけど、「ウララで買い物したい」という気持ちも同じくらい持ってくださっているように見える。
 「何でもいいからおすすめの本を教えて」
 と言われたこともあった。

 スイッチの入/切はきっと紙一重で、本や値段よりも気分の問題が大きそうだ。だからこそ土産物屋は必死に客引きをする。私はプラスにもマイナスにもならないよう息をひそめている。

 ものを買った人は、売った店とはもちろん作り手ともつながる。ツイッターでは、買った人と著者や出版社との「買いました」「ありがとうございます」というやり取りがされている。お金を出すほど、ものを手元に置いておくほど、あなたのファンです。少し前まではサイン会などでしか言えなかったことが、今はいつでも伝えられる。だからこそますます買ってしまうのだろう。アイドルと握手をするためにCDを買うのと変わらないかもしれない。
 古本は作り手から切り離されているから、そういう買われ方とは縁がない。
 「あなたの本を古本屋で買いました」
 とはふつう言わない。集めてきた私と見にきた人との一騎打ちである。値段も本の状態も、自分の責任。丸腰だ。

 扇風機を回しながら店先にじっとしている。湿気とともにもんもんとしてくる。でも、なぜだか楽しそうに本を買ってくれる人がいると、とりあえずは気を取りなおす。売り手である私のスイッチも一喜一憂し、振り回されている。




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