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ビートン夫人の教え

4 <前編>

 ヴィクトリア時代は、大きく見れば男尊女卑と男女の役割分担の固定というのを是とした社会であったかと思うのだが、ただ、そういう中から、次第に女性の自覚と独立への意思のようなものが芽生えてくる。
 ビートン夫人の立場は、あくまでも、道徳的な理にかなった良妻賢母というところを出るものではないが、しかし、先進的で善良な夫の影響もあったのであろうか、その家庭内に於ける妻の存在理由については、ある丈高いものを志向しているように見える。

 たとえば、新しい家に引っ越したとする。その時に、いわば向こう三軒両隣的な近所付き合いというものを担うのは、一家の女主人の責務であると彼女は教える。ただし、日本の習慣とは事変り、自分のほうから向こう三軒両隣に引越の挨拶に出向くというのではなかった。逆に「そこに以前から住んでいた近所の人が、新来の女主人を訪ねてくるのを待つのがエチケットであろう」というのである。つまり、周囲の隣人たちに、そのように親しく付き合いたいという気持ちを起させるように仕向けるのが一家の主婦たるものの勤めだというのだから、これはなかなか難しい。しかも、その隣人の訪問が「儀礼的なものであれ、友情に出るものであれ、あるいは弔問であれ、必ずその返礼をしなければいけないということを記銘しておくべきである」と夫人は教える。まあ当たり前のようなことであるが、こういう儀礼的なことがちゃんとできるということが、この時代の教養ある家庭婦人の条件だったのである。
 しかし、ただ座して待っていたのでは、近所の人が訪ねてくれない場合もあるだろう。そういうことは困るので、もし引っ越し先のご近所の人宛てに、誰か友人が紹介状を書いてくれるということがあるかもしれない。この場合は、くだんの紹介状を自分の名刺と同封して送る。すると二三日のうちには紹介された隣人が訪ねてくるであろう。そうしたら「できれば一週間ほどのうちに返礼の訪問をしなくてはいけない。この点において、エチケットの不履行は、そう易々とは許してもらえないことであろう」というのだから、なかなか大変なことである。

 そもそも、イギリスの社会では、スティーヴン・メネルの『食卓の歴史(All manners of food)』の示唆するところに従うならば、人と人の付き合いかたのなかで、その親密の度合いは次の順序で濃密になる。

 Drink ⇒ Tea ⇒ Meal

 このドリンクというのは、要するにナッツでもかじりながらワインやビール、あるいはシェリーなどを飲むだけの会合で、これは別に友人でなくても、仕事上だけの付き合いの人でも参加することができる。しかし、ティーともなると、これは食事の一種と見做され、そこには、明らかに個人的友誼というものが存在する場合に限って招待されるわけである。そこで食事に招待したりされたりというのは、その最も濃密な「個人的付き合い」を意味するので、決して軽いものではなかった。
 そこで夫人はこう教える。
 「叙上の状況においてもしディナーに招待されたならば、万止むを得ない場合を除いてそれを断ってはいけない。しかし、しかるべき事由があってどうしても行かれない場合は、そのことを正直に簡明に述べるのが真実礼に適っている。すなわち、招待状を受け取って一両日のうちには、せっかくのお招きにどうしても都合がつかなくて伺えないことについて、まことに残念である旨、丁重に申し述べるのがよい」
 また自分が誰かに紹介状を書くということもあり得るであろう。この場合は、「封をせずに友人に渡すべきである。誰でも紹介状を書いて欲しいと依頼してきた人は、自分をどんな風に紹介してくれたかということを知りたいだろうから。また友人から誰かの紹介状を受け取ったときは、すぐにその紹介状を書いた人に対して件の状を受け取ったこと、そしてその依頼されたことを実行すべく最善の努力をすると知らせるべきである」というわけで、これらのローカルなコミュニティに於ける人間関係が円滑に樹立せられるか否かは、多く女主人の手腕にかかっていたことがわかる。これについて夫人は、「主婦たるもの、各家庭の管理に当たって、最初にして最後の存在、アルファにしてオメガである者なのだということを肝に銘じておくべきである」と昂然たる意気を示しているのであるが、これはこの時代の新しい息吹として考慮しておいてよいのであろうと思われる。
 すなわち、一家の女主人というものは、一般に考えられているよりはずっと重要な位置を社会のなかに占めているのだというのがビートン夫人の信念であった。しかもまた、母親ともなれば、その娘たちはすべての規範を母親に求める。それゆえ、女主人は「誰もがその責任ある立場に留意し、決して見苦しい態度をしたり、汚い言葉を口にしたりしてはいけない」というわけである。
 ここにおいて、夫人は敬虔なる主教ジェレミー・テイラーの言葉を引く。曰く、
 「良妻は天から男への最上にして至高の贈り物、男の天使にして限りなき恵みを与える司祭、多くの徳を備えたる至宝、宝石の小箱、その声は甘き音楽、その微笑みは男にとって最も輝ける日、その口づけは男を罪悪から守る者、その諸腕(もろうで)は男を安全に守る杙(くい)、男の健康を齎す香油、彼の命の香膏、その勤勉さは男の冨、その経済はもっとも安全な財産の管理者、その唇は忠実な相談相手、その胸はもっとも柔らかき慰めの枕、そしてその祈りは、男の頭上に潅(そそ)がれる天の祝福の最良の唱道者なり」と。


(後編につづく)

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