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憲法で読むアメリカ史

第27回 テロリストと憲法

 

テロとの戦い:目的と手段

 9.11事件後のブッシュ政権にとって、最大の課題はアメリカ国民をいかに大規模テロ攻撃から守るかであった。2001年9月11日の攻撃を防げず、国民の命を守れなかったのは、明らかに政権の失敗である。2度とこのようなことは許さない。ブッシュ政権は大統領以下、すべてその決意で固まっていた。同年10月にワシントンへ着任した加藤良三駐米大使に、チェイニー副大統領は「9.11事件の衝撃は、我々アメリカ人の心にいわばDNAのように焼き付いている」と語った。
 政権の目的はこのようにきわめて明確であったけれど、問題はそのためにどのような手段を用いるかである。当初は政権、議会、そして大多数の国民も、可能なかぎりあらゆる手段を用いるべきだと考えていたようだ。9月18日連邦議会上下両院が、新たなテロを防ぐために「すべての必要かつ適切な軍事力を用いる権限」を大統領に与える合同決議「軍事力行使許可法」)を圧倒的多数(下院は賛成420、反対1、棄権10。上院は賛成98、反対0、棄権2)で可決(したとき、国民の反対はほとんどなかった。この決議にもとづき、大統領は2001年10月7日アフガニスタン攻撃を命じる。さらに2002年10月、イラクへの軍事力使用を許可する新しい議会の決議にもとづいて、2003年3月20日イラク攻撃を開始した。
 この他にも9.11事件への反省をこめて、いろいろな政策が矢継ぎ早に実行される。まず国防政策の根本的見直しが行われ、いわゆる先制攻撃のドクトリンが構築され発表された。アメリカ本土がテロリストなどによって攻撃されるのを座して待つわけにはいかない。特に大量破壊兵器などによるさし迫った脅威を発見すれば、それを先制的に武力でたたき、攻撃を未然に防ぐことが必要である。イラクへの攻撃は、この考え方に基づいている。ブッシュ政権のテロ政策に批判的な現在のオバマ政権も、アルカイーダなどの脅威に対しては基本的にこの政策を踏襲し、続行している。
 国内治安体制の根本的見直しも行われた。とりあえず祖国安全室が2001年10月に設けられ、翌年議会が法律を通し、移民局、税関、沿岸警備隊、シークレットサービス、FEMA(連邦危機管理庁)など、これまでばらばらであった国民の安全にかかわる省庁を1つに統合する祖国安全省が発足する。
 また2001年10月26日には、Uniting and Strengthening America by Providing Appropriate Tools Required to Intercept and Obstruct Terrorism Act of 2001という長たらしい名前の法律、頭文字を取ってUSA PATRIOT Act、つまり愛国者法として知られる法律が、両院の圧倒的多数で可決された(上院で反対票を投じたのは1人)。内容は多岐にわたるが、国内でのテロ事件発生を防ぐために治安当局の情報収集権限を大幅に拡大するのが中心である。なかでもテロ容疑者による電話やメールでの交信を盗聴する大きな裁量権が与えられた。
 治安当局や情報当局の権限を大幅に拡大するこうした施策には、当初から疑問や反対の声があった。たとえば9.11事件を引き起こしたテロリストたちが、アメリカ国内で攻撃に必要な情報を公立図書館で自由に手に入れていたことがわかったため、愛国者法には公立図書館での閲覧記録の捜索権限が盛りこまれる。この措置は、アメリカ国民のプライバシーを侵害しかねないとして、大きく取り上げられた。
 しかしブッシュ政権の一連のテロ対策は、この頃はまだ大きな批判を受けない。9.11事件の衝撃が大きすぎて、大幅な政権の権限強化は必要、あるいは仕方ないと感じられていたようだ。

テロとの戦い:安全と自由のバランス

 2003年5月1日ブッシュ大統領は航空母艦アブラハム・リンカーンに降り立ち、イラク戦争での勝利宣言を行った。イラクに侵攻した米軍は短期間でバグダッドを制圧、サダム・フセインは逃亡を余儀なくされる。演説を行う大統領の背後の艦橋に “Mission Accomplished”(「任務完了」)という大きな旗が誇らしげに翻っていた。
 しかしサダム政権崩壊後にアメリカが取り組んだイラク再建の試みは、なかなかうまく進まない。政権を担っていたバース党の官僚と軍人を追放して行ったアメリカ軍による占領統治は機能せず、反対勢力の攻撃は激しさを増すばかりであった。また開戦の最大の理由であったサダム政権が隠匿したとされる大量破壊兵器は、結局最後まで見つからなかった。アメリカ軍の駐留が長引きアメリカ軍、有志連合軍の兵士だけでなくイラク人の死者と負傷者が増大するなかで、いったいアメリカは何のためにイラクで戦争をしたのかという疑問の声が上がる。
 さらにヨーロッパをはじめ世界中で、いわゆる「ブッシュ」の戦争に批判が高まるばかりであった。イラクでは投票をするなという反対勢力の脅しにもかかわらず民主的な総選挙が行われ、イラク人の代表へ政権が移管されたけれども、まだとても独り立ちできる力がない。世界中のブッシュ政権批判、アラブ世界やヨーロッパ諸国での反米の嵐に、アメリカ国民は当惑し、悩みを深めた。
 そうした中、民主主義や人権を掲げて戦ったアメリカの戦争の正統性を疑わせるスキャンダルが発生する。2004年4月28日、アメリカ3大テレビネットワークの1つCBS放送の「60 Minutes」というドキュメンタリー番組が報じた、バグダッド郊外のアブグレーブ刑務所でのイラク人捕虜虐待である。裸にされ鎖につながれたイラク人囚人が、ピラミッドのように無理矢理重ねられ、それをアメリカ人兵士が楽しんでいるかのような写真。紙のフードをかぶせられ台の上に立たされ体に電気コードを巻かれた囚人の写真。動かしようのないこれらの証拠は、アメリカ人の良心を深く傷つける。強気でなるラムズフェルド国防長官でさえ、このときはブッシュ大統領に辞表を提出、責任を取って辞任しようとした(このときは慰留され職に留まる)。
 そしていま1つ問題となったのが、2002年1月に始まったキューバにあるアメリカ海軍グアンタナモ基地におけるテロ容疑者の無期限の拘束と尋問である。アフガニスタン戦争開始以来、アメリカ軍は同国や隣のパキスタンで、大勢の戦闘員を捕らえた。そしてアルカイーダやタリバンに属しテロリストである疑いのある者をグアンタナモ基地に移送し、厳重な警戒のもと、外部とは切り離された施設に隔離収監する。その数全部で約640人。なかにはアメリカ国内で逮捕された者、アメリカ国籍の者もいた。
 通常犯罪を犯した疑いのある者は、犯罪発生地にある裁判所で刑法によって裁かれる。当該地の法律が定める刑事手続が適用され、権利が守られる。また戦争中捕らえられた敵の軍人は戦争捕虜としてジュネーブ条約により一定の権利を与えられていて、虐待や拷問は許されない。ブッシュ政権は、これら容疑者がそのどちらにも当たらない不法な敵性戦闘員であるという立場を取り、軍の管理下に置いた。したがって通常の犯罪被疑者や戦争捕虜が有する手続的および実体的権利は有さない。彼らは自分の罪状を知らされず、弁護士の助力を得られず、法廷で自らの主張をなすことも許されなかった。
 テロリスト容疑者をアメリカ国内の軍刑務所に送れば、その取り扱いをめぐっていろいろな憲法上、法律上の問題が生じる。それに彼らを米国本土で収監することはテロリストの報復を招く恐れがあり、アメリカ国民にとって危険性が高い。同時にヨーロッパなど同盟諸国のアメリカ軍基地に置くことも、条約上国際法上の問題が発生する恐れがあった。
 その点グアンタナモ海軍基地は19世紀末の米西戦争の結果、1903年以来キューバ政府からアメリカが租借しつづける土地であり(カストロ政権は地代を一切受け取らず抗議を続けている)、アメリカ軍の管理下にありながら主権はキューバ政府にあるから、アメリカ連邦司法の管轄権が及ばない。テロ容疑者を拘束しておくには、いろいろな意味で便利であった。しかも、容疑者の尋問が自由にできた。どのような方法で尋問を行っているかも、外からはわからない。
 グアンタナモ海軍基地へのテロリスト容疑者の収監に対しては、ヨーロッパ各国や国連などから強い非難の声が上がった。国内でも問題になった。人権を重んじイラクやアフガニスタンの民主化を説くアメリカが、グアンタナモに収監されたテロリスト容疑者にまったく法的権利を与えないまま無期限に収監していてかまわないのだろうか。アブグレーブの例から見て、人権の重大な侵害はないだろうか。それでも政権はこの政策を変えようとはしない。軍の責任で行うテロリスト拘禁について議会ができることもほとんどなかった。

最高裁とテロリストの人権

 しかしそこはロイヤーの国、人権の国アメリカである。2002年初頭、グアンタナモで拘束されているデイヴィッド・ヒックスというオーストラリア国籍のテロ容疑者が家族に手紙(1通だけ許されたらしい)を書いて窮状を訴え、その家族がニューヨークの人権団体に助けを求めた。そしてこの団体の弁護士がワシントンの連邦地裁に人身保護令状の発出を求め、訴えを起こす。同じような訴えが次々に提出され、2003年になって最高裁がこれを取り上げた。ブッシュ政権の対テロ政策の一部が、初めて最高裁による審査を受けることになる。
 最高裁が2004年に取り上げた事件は3つある。第1はラスール対ブッシュ、第2がハムディ対ラムズフェルド、そして最後がラムズフェルド対パディヤの各事件である。最高裁は2004年6月28日に3つの事件すべての判決を下した。

ラスール対ブッシュ事件

このうちラスール事件は、グアンタナモに収監されたヒックスを含むオーストラリア国籍のテロ容疑者2人、クウェート国籍の容疑者12人が、人身保護令状の発出を求め、それぞれコロンビア特別区連邦地裁に提訴したものである。地裁と連邦控訴裁が請願を却下したあと、最高裁が取り上げ審理した。なお上告請願のときには2人の英国市民も上告人に含まれていたが、彼らは判決が下る前にグアンタナモから釈放されている。ラスールはこの2人のうちの1人であり最高裁の審理の対象にはならなかったが、事件の名称として記録に残った。
 上告人はいずれもアフガニスタンおよびパキスタンでの米軍とタリバンのあいだの戦闘中、アメリカ軍に捕らえられグアンタナモに送られた。しかし彼らはいずれも、米軍と戦ったこと、テロ行為を行ったことを否定している。そして罪状を知らされず、弁護士に相談する機会も聴聞の機会も与えられず、グアンタナモへ収監され続けるのは、合衆国憲法、国際法、関係条約に違反するとして、人身保護令状の発出を求めた。
 人身保護令状はもともとイギリスで発達しアメリカでも採用された被疑者の権利保護制度の1つである。アメリカ合衆国憲法にも明記されている。王や政府によって身柄を拘束された者は、裁判所にこの令状を請願し身柄の釈放を求めることができる。裁判所は令状(Writ)によって官憲に拘束されている者の身柄を法廷に移すよう命じ(Habeas corpsは元々ラテン語のYou have a bodyという言葉に由来している)、拘束の理由と必要性について十分な説明が出来ない、あるいは違法性がある場合には釈放を命じることができる。この制度によって不当なそして根拠のない人身の拘束が防がれるようになった。
 合衆国政府は、14人の訴えを審理する管轄権が連邦司法にはないと主張し、ただちに訴えを却下するよう最高裁に求めた。9.11事件の際、ハイジャックされペンタゴンに突っ込んだ旅客機に乗りあわせた妻を失っているオルソン訟訴長官は、最高裁での口頭弁論で、外国で捕らえられ外国に収監された外国人に対して連邦司法は管轄権を有さない、それに合衆国はいまテロリストとの戦争という非常事態にあると主張した。
 これに対し、最高裁は6対3で下級審の判決を覆し、連邦司法には上告人による人身保護令状発出の請願に対する管轄権があるとして、この事件を地裁に差し戻した。法廷意見を著したスティーブンス判事は英米における人身保護令状の発展の歴史と裁判所の先例を詳しく分析し、被疑者が拘束されている場所を政府が「コントロール」していれば、その場所に国家主権を有さなくても、裁判所には人身保護令状を発出するための管轄権がある。確かにグアンタナモの主権はキューバに属するが、アメリカ軍は同基地を完全にコントロールしている。したがって収監されている者たちは、その国籍にかかわらず連邦司法に人身保護令状発出を求め、拘束が違憲であり違法であるという自分たちの言い分を法廷で申し立てる権利がある。こう判示した。

ハムディ対ラムズフェルド事件

 一方ヤッサ・エッサー・ハムディはやはりアフガニスタンでの戦闘中に米軍に捕らえられ、グアンタナモに2002年1月に収監された。しかし翌月アメリカ国籍であることが判明し、最初はヴァージニア州ノーフォーク、のちにサウスカロライナ州チャールストンにある海軍の刑務所に監禁された。これに対し2002年6月、ハムディの父親が息子の無期限の監禁はアメリカ市民が有する憲法修正第5条デュープロセス条項が与える権利を侵害しているとして、ヴァージニアの連邦地裁に人身保護令状の発出を請願する。
 これに対し政府は、ハムディは違法な敵性戦闘員であり、アメリカ国籍であるかどうかを問わず憲法上その他権利の主張はできない、ハムディの拘留は大統領にテロとの戦いにおいてすべて必要かつ適切な手段の行使を認める2001年9月の軍事力行使許可法によって正当化されると主張した。
 この事件を取り上げた最高裁は、やはり6対3の評決でハムディの主張を一部認め、ハムディが中立的な審査を受ける権利があるとした。法廷意見を著したオコナー判事は、ブッシュ政権が軍事力行使許可法にもとづきハムディを敵性戦闘員として拘束し、グアンタナモなどに収監する権限を有することを認める。しかしだからといってハムディは、修正5条が保障する憲法上の権利を完全に奪われるわけではない。最低限の権利行使は認められるべきである。そして中立の立場に立つ審査機関で自らの主張を行い釈放を訴える機会を与えねばならない。こう述べた。
 これに対しスカリア判事は反対意見を著す。同判事はラス−ル事件でも反対意見を述べ、外国でアメリカ軍が拘束している外国人の敵性戦闘員による人身保護令状請願を審査する権限は、連邦裁判所にはないと述べている。しかしハムディ事件の反対意見では、政権には軍事力行使許可法に基づきアメリカ市民を敵性戦闘員としてグアンタナモに拘禁する権限はないとして法廷意見を批判した。なぜなら憲法は敵に荷担し合衆国を攻撃する自国民には反逆罪が適用され、裁かれるとしているからである。この反対意見には、ラスール事件の法廷意見を表したスティーブンス判事が加わった。ブッシュ政権に近いスカリア判事は、容疑者が外国人であるかないかを区別し、アメリカ市民である場合には、ブッシュ政権のグアンタナモ政策を正当化できないと、断言したのである。

ラムズフェルド対パディヤ事件

 パディヤもまたアメリカ市民である。2000年5月彼はパキスタンからシカゴへ戻ってきたところを空港でFBIに逮捕令状を執行され、そのまま刑事事件の被疑者としてニューヨークへ移送された。その後新たなテロを企てる敵性戦闘員と認定、軍に身柄が移され、チャールストンにある海軍の刑務所に収監される。パディヤはこの収監が憲法違反だとして人身保護令状の発出を求め、ニューヨークの連邦地裁に訴えを起こした。
 最高裁はパディヤの訴えを、手続的な理由で退けた。ニューヨークの連邦裁判所はチャールストンの刑務所に収監されている囚人の人身保護令状請願を審査する権限を有さない。法廷意見を著したのはレンクイスト首席判事である。

グアンタナモ軍事委員会の創設

 最高裁の3つの判決は少しずつ事実背景と法律上の争点が異なり複雑であるが、少なくとも1つのことが明らかになった。それは9.11事件を皮切りに始まったテロとの戦いという危機の状況にあっても、それに対処するため政権へ与えられた権限は無制限ではない。たとえテロリストであると疑われる被疑者が外国人であり軍の管理下にあっても、最低限の憲法上の権利保障は与えられねばならない。最高裁の多数はそう考えた。
 これらの判決を受け、ブッシュ政権はグアンタナモ海軍基地におけるテロリスト容疑者の処遇について再検討を強いられる。特にハムディ判決を受け、敵性戦闘員であるかどうかを改めて審査する新しい軍事委員会を、グアンタナモ基地に創設した。
 戦争中、軍が占領した敵地などで、軍事裁判所の一種である軍事委員会(Military Commission)を行政措置として臨時に創設し、アメリカ軍人が敵の戦争犯罪人などを裁くことは、過去にもあった。たとえばフィリピンでの戦いのあと降伏した山下奉文大将を戦犯として裁き、死刑を宣告したのは、フィリピンに設けられたアメリカ軍の軍事委員会である。ただし特殊な状況における軍事裁判であるから、証拠の採用、審査の方法などは、一般裁判所の訴訟手続ほど厳密ではない。山下大将が合衆国最高裁に人身保護令状を求めたケースでは、それが問題になっている。

ハムダン対ラムズフェルド事件

 最高裁は、新たに設置された軍事委員会での審査が十分とは考えなかった。2006年6月29日、ハムダン対ラムズフェルド事件の判決を下し、グアンタナモの軍事委員会は議会が制定した法律に基づいておらず、アメリカ軍事裁判統一法典と1949年に調印された4つのジュネーブ条約に違反すると判示した。判決は5対3で、法廷意見を著したのはラスール事件と同じくスティーブンス判事である。
 判決の論旨は大変複雑であるが、一言で言えば最高裁はまたもや、ブッシュ政権のグアンタナモ収容政策にノーをつきつけた。特に、テロリスト容疑者は正規の軍人ではない敵性戦闘員であるので戦時国際法の適用を受けないというブッシュ政権の見解を否定し、戦時捕虜の取り扱いを定めるジュネーブ条約が適用されると判断したのは画期的であった。
 これに対してスカリア、トマス、そして新しくブッシュ大統領が任命したアリト判事がそれぞれ反対意見を著す。スカリア判事は特に敵性戦闘員にジュネーブ条約が適用されるという法廷意見の解釈を、詳細に検討し批判している。
 ちなみにハムダンはアルカイーダの最高指導者であったオサマ・ビン・ラディンのドライバー兼ボディーガードをしていた人物で、アフガン戦争中土地の民兵に捕らえられて米軍に手渡され、グアンタナモへ収容された。彼は最高裁の判決をよく理解しなかったが、祖国では一個人が国防長官に裁判で勝つなどありえないと、たいそう喜んだという。

ブーメディエン対ブッシュ事件とその後のテロリスト容疑者の処遇

 ラスール事件、ハムダン事件の判決で、最高裁がグアンタナモで収監されているテロリスト容疑者の権利を認めるのを見て、今度は議会が介入する。議会の多数を占める共和党保守派は、2006年10月、2006年軍事委員会法を可決し、グアンタナモにおける容疑者審査の新しい軍事委員会創設を命じた。同法は、法律制定の時点で敵性戦闘員であると認定されている容疑者が通常の連邦裁判所に人身保護令状発出を求めて訴訟を提起するのを禁じる。グアンタナモでの軍によるテロリスト容疑者の処遇に関して、司法の関与をなるべく制限し、最高裁が命じる手続要件を満たしたうえで軍事司法の手で対処しようという試みであった。しかし最高裁はこれも認めなかった。
 2008年6月12日、最高裁はブーメディエン対ブッシュ事件の判決を5対4の判決で下す。法廷意見を著したケネディー判事は、2006年法がテロリスト容疑者の人身保護令状請願を中断するのは、憲法に反する、グアンタナモはキューバ領土であるけれども、憲法上の人権保障に関しては収監された容疑者たちはアメリカ本土と同じ扱いを受けるべきであると判断した。
 ブーメディエン判決を受けたオバマ新政権のもとで、議会は2009年軍事委員会法を可決し、テロリスト容疑者に2006年法よりも大きな手続保護を与えた。人身保護令状は彼らが連邦司法に救済を求める主たる手段として確立した。そもそもオバマ大統領は、選挙中グアンタナモ収容所の閉鎖を公約し、就任の後それを実行しようとしたものの、テロリスト容疑者をアメリカ本土に移す計画が住民の強い反対にあって、実現していない。またグアンタナモから敵性戦闘員ではないとの判断がなされ釈放されたテロリスト容疑者が、再びテロ行為に従事した例がたくさんあることが、次第に明らかになる。オバマ政権は、いまだにグアンタナモに収監されているテロリスト容疑者の取り扱いに苦慮しながら、一方でパキスタンやイエメンなどでアルカイーダと戦い続けている。
 ハミルトンが、『フェデラリスト』第八篇で述べたように、外敵からの脅威に十分対処しようとすれば、基本的人権保護の原則とぶつかる。「より安全であるために、人々は自由を失う危険を冒す」のである。安全と自由のバランスを危機の時代にどう取るか。グアンタナモにおけるテロリスト容疑者の処遇をめぐる論争はその具体的な例であるが、同時にそうした論争がアメリカ3権を巻きこんで司法の場で堂々となされるのも、アメリカの特徴かもしれない。

 







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